鉄の女と異名されるマーガレット・サッチャー、民主化運動の指導者アウンサン・スーチー、自己否定し続けるファッショデザイナー川久保玲。僕がパッと思い浮かぶ、何れも、世界中の誰からも認め尊敬される、素敵な現代女性である。しかし、そんなに雲の上を見なくても、僕の身近なところにも尊敬する女性が二人いる。
一人はラカンの朱洋子さんである。この地域におけるフリーペーパーの草分け的存在である。フリーペーパーをしながら、広告におけるデザイン、いわゆる広告代理店的仕事をいち早く立ち上げ、今や雨後の筍のごとく乱立するフリーペーパーから、いち早く抜け出した。フリーペーパーも継続しているが、従来のような新聞折込みはせず、賛同してくれるお店にだけおいている。この点でも、他のフリーペーパーとは一線を画している。
さらに年に1度、プチラカンという携帯できる冊子を発行している。どこに食べに行こうか思案する際、大変重宝する一家に一冊の優れものである。とうとう今年は、プチラカンの医療版まで作成した。
その朱さんとは、飲食する機会が時々ある。いつも、「私、アカンたれやから」と卑下するが、嫌味に聞こえることは全くないし、誰もそんなことを信じていない。
もう一人は画家の廣本直子さんである。創作活動はもちろんのこと、もじけハウスプロジェクトを立ち上げ、「日常のなかのアート」を目的に当地で公共的文化活動もしている。
出会いは、知人を通じてであった。2年ほど前に、もじけのメンバーである建築家と一緒に、自宅とクリニックへ見学に来てくれた。以来、もじけハウスでイベントがあれば、ちょくちょく連絡をくれるようになった。親交はなかったが、地方紙「紀伊民報」で、その精力的な活動は知っていた。いつか、ゆっくり話す機会があればと願っていたが、つい先日ようやく飲食する機会を得た。そこには何と、写真家の平野功二さんも同席してくれた(次回に詳細を)。取材や撮影等で忙しい平野さんに気を遣って1時間程度と考えていたが、美味しい料理にお酒、興味が尽きない話題に、あっという間に2時間が過ぎた。
二人に共通して言えることは、異性を感じさせないことである。二人から、「えーっ、私達女じゃないの、それならオネエ系?」とツッコミがきそうだが、そういうことではない。二人とも、男とか女とか、若いとか老いているとか、制限された枠にとらわれない人間性を感じるのだ(そう言うと朱さんから、「先生は結局、私のこと、おばさんって言いたいんでしょ。」と、さらなるツッコミが来そうで死ぬほど怖くなる)。なぜか、彼女たちの立ち振舞い・生き方から、共感せざるを得ない威圧感を、異性を意識する前に感じるのだ。もう一つ共通していることは、二人とも「わきまえ」を知っているように思う。偉ぶらない、訳知り顔をしない、道理を知って物事の本質を見極められる人である。
この文脈から再考すると、僕の苦手な女性は、必要以上に女性を感じさせる人、わきまえない人ということになる。必要以上に女性を感じさせる人というのは、女性からも共感が得られると思う。わきまえない人というのは、身の丈に合っていない人、言動と行動が一致していない人、気遣いが出来ない人、一言で言えば、自分を装っている人である。不思議なもので年齢がいくと、これも異性を意識する前に分かるようになった。まさに「あやしうこそものぐるほしけれ」な、今日この頃のである |