家族の危機
家族を意識した日
三男得意のphoto boothの画像です。
このコラムは自分の月記でもある。後から見直せば、当時自分に何が起こって、その時の自分の状況や心理状態がすぐに思い浮かぶ。家族のことを細々書くつもりはないが、家族に一大事があったので、落ち着いた今、ここに記しておく。
少し前に書いたように、4月の第一週目は、何らかの感染症により相当辛い日々を僕は過ごし、2週目もその後遺症に悩まされた。ようやく落ち着きつつあった13日の土曜日の午後、ある方から招待され懇親会に参加した。ビール(炭酸飲料)は飲めなかったが、ワインを飲めるくらいには回復していたので、体調が許すまま飲んだ。空きっ腹に酒を飲んだためか、久しぶりのお酒だったせいか、夕刻に家に帰ってそのまま寝床についた。
その夜に出来事が起きた。ゴロゴロガターン!という音の後に、「◯◯(三男の名前)大丈夫、大丈夫?」の大声。朦朧とした意識状態に頭痛と倦怠感で起き上がれなかった。ぼんやりとした頭の中で、「階段から転倒したのかな?尋常でなければ、起こしに来るだろう。」とそのまま床についていた。夜中、一緒に寝ていた三男が突然嘔吐したが、嘔吐以外の症状がなかったので夜が明けるのを待った。
翌日は、いつもより元気がなく食も若干細い程度で、頭部打撲による合併症を示唆する症状・所見はみられなかった。その夜、妻が寝ている三男の頭をさすりながら、頭頂部の凸凹が激しいこと、妙に柔らかい部分があることを僕に告げ自身も確認した。万一があった場合の対応を考えて、地元の基幹病院よりも定期受診している大阪の総合医療センターを受診することに決めた。
週明けの15日に大阪の病院に電話をかけたところ、先ずは地元の病院を受診するよう勧められたようだが、事情を説明してどうにかこうにか受診出来る算段をつけて昼過ぎに妻は車を大阪に走らせた。夕刻、仕事をしている僕に妻から電話がはいった。頭蓋骨骨折に頭蓋内血腫の診断で、現時点では命には別状はないけれども、経過観察のために緊急入院しなければならなくなったことが伝えられた。電話を切った瞬間、大事に至らなかった安堵と長女と二人きりの日常をどう過ごすか不安な気持ちがないまぜになった。
夕飯は不可能なので、自身は外食、長女は祖父母にお願いするしかなかった。問題は、朝である。電車通学する長女の弁当をどうするか、早朝の駅への送りを誰がするかである。長女から二つ返事で、近くに住む祖父母の家にしばらく居候するという答えが返ってくるものとたかをくくっていたが、万難を排して自宅から通学すると言うではないか。
開業以来最大規模の病魔に襲われた今年の4月。代理を立てることはもちろん、休診にすることも不可能な状況で、近年稀に見る慌ただしい4月の日常診療。その上、三男の緊急入院と妻の突然の不在。思わず、「ああ無常!」心が叫んだ。