院長のコラム

親父の背中

遠きにありて思ふもの

父が生まれた時の記念日(6月10日)を、今年もまた大過なく迎えることが出来た。今生の別れをしてから年月は経るばかりなのに、逆にだんだんと思いが募る。僕が医師として経営者として歩んでいる人生を、父も同じように歩んできたはずだ。不惑の四十歳で独立してがむしゃらに突っ走ってきたが、ようやく経営が落ち着いてきた昨今、今後十年のこと、第一線を退こうと決めている六十五歳以降のことを朧気ながら考えるようになった。思い悩むことの多いこの年代だからこそ、父の言葉を聞きたいと日増しに思いが強くなる。

僕は高校まで地元の学校に通った。小学生から高校生まで、登校する時間には医院の駐車場はいつも車で一杯だった。父は早起きで六時前には起床して、診察室で一時間程度、新聞や本を読んで勉強していた。患者さんの気配を察するやいなや医院の解錠をしていたので、早ければ六時半頃には医院を開けていた。当時、開院時刻は八時だっただろうか、けれども七時前には多数の方が来院していたので、七時十五分には診察を開始していた。トレーナーにスエットパンツ、その上に緑色の手術着を羽織るのが父の診察スタイルであった。
夏休み等の長期の休みになると分かったが、午前中の診療で二~三十人の内視鏡検査をこなしていたようである。三十人前後になると、「今日は忙しかったな。」の声とともに自宅に帰ってくる。昼食を取り小一時間ほど昼寝をしてから午後の診療を行っていた。内視鏡を専門とする医院の午後の診療は、まさに嵐の後の静けさで閑散としていた。空いた時間を利用して株のテレビ番組を見て、株式投資をしていたようだ。診療時間が終わると飼い犬と散歩、それが父の日課だった。

我々兄弟が大学生になり母が亡くなると、長期の休みには父は主夫になり、日常診療が忙しいにもかかわらず、洗濯はもちろんのこと朝・夕食まで作ってくれた。
よく外食にも連れて行ってくれた。父は外出する時、必ずそれなりの恰好に着替えて出かけた。父の後ろに付いて行くと、すれ違う人々に「やー、先生」「おっ、子供さんですか」等よく声をかけられたのが子供ながらに誇らしかった。父が選んだ店で父が注文した品はどれも美味しく、父に食べさせてもらった数々の料理が僕の味覚の基本と言っても過言ではない。

ここに書いたことは、父のほんの断片に過ぎない。父が亡くなって15年経過した今、父の存在が忘れ去られようとしている。僕達兄弟には誇れる父がいたこと、我々の原型となる放浪の医師がかつて存在したことを身近な人に知ってもらいたくてここに記した。
ちなみに、僕は思うところがあって診療所と自宅は別にした。長男、次男とも中学生から全寮制の学校に入ったので、僕が経験した父親の背中を彼らは経験していない。きっと、口やかましい飲んだくれの風変わりな親父と映っているのだろう。それはそれで、僕を反面教師にして立派な社会人になってくれば望外の喜びである

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