秋葉原無差別大量殺傷事件についての私見
秋葉原無差別大量殺傷事件についての私見
このコラムは、心身ともに豊かになる(実際にはならないのですが)というサブタイトルがついているので、時事問題を扱うことは極力控えたいと考えていました。しかし、今回の事件の論調(特にテレビのメディア)があまりに短絡的、無責任、傍観者的なので、自分が素直に思ったことを率直に述べてみたいと思います。
キャスターやコメンテーターの少なからずの人達が「市場競争主義社会・格差社会における負け組」、「非正規雇用が将来への不安感を助長した」、「個人責任論が求められる中自虐的にならざるを得なかった」、「インターネット社会が孤立感を深める原因になった」等現在の政情、社会環境、経済システムに原因を求める発言をしている。競争がなく、格差のない社会で、ほぼ正規雇用で、個人よりも社会重視で、インターネットに制限を加える社会が良いと言うなら、理想の社会は一昔前の共産主義社会である。コメント通りにとれば、日本の社会主義化を望んでいるのかな、と思いきやそんなことは全く口に出さない。ましてや、社会をどのように変えるのか解決方法も示さない。深刻を装って、訳知り顔で言い放しのままである。
三重県の医院で、点滴作り置きによると考えられる患者死亡事故があった。この病院には1日300人の患者さんが来院して、100人近くに点滴をしていたという。院長は涙ながらに「私の家にはバスタブがない、朝早くから夜遅くまで働いていた。そのような私がどうして金儲け主義に走るのですか」と語っていた。その言葉をそのまま受け取るなら、実直に一生懸命働いているのに報われない、マスコミ風にレッテルを貼るならワーキングプアーであり、開業医の負け組である。しかし、コメンテーターの誰一人として今の社会や医療システムの破綻・不備によって今回の事故が起きたとはコメントしないし、勿論擁護する意見もない。おそらくほとんどの人が、医師として、経営者として、個人の倫理観の欠如が今回のような事態を招いたものと考えているのだろう。残虐性、社会に与えた影響が異なるという意見もあろうが、それを言うなら3人に1人が非正規雇用といわれる現代において、今回の事件と同じ境遇の人は相当数いることだろう。しかし、皆不平、不満、不安を抱きながらも日常を必死に生きている。厭世的気分になって殺人を犯すのは限りなくゼロに近い割合の人間だけである。したがって、先ずは容疑者個人に問題があると考えた方が妥当である。
次に考えなければならないのは、家族の問題である。というのも、我々は皆、生きて行く上で多数のコミュニティーに属し、多数の人に関わって生き、生かされている。その数多いコミュニティーの中で最も身近で、最も親密で、最も影響力の大きいものは家族である。容疑者は生まれ落ちた日から極悪非道の人間だったのだろうか。性悪説の立場に立つなら、どうして矯正できなかったのだろうか。性善説の立場に立つなら、どのようにすればあのような鬼畜を育てあげることができたのだろうか。多少、種(個人的資質)に問題があったとしても、育てる畑(生育環境)によっては少なくとも殺人を犯さないような教育ができたのではないか。しかも、容疑者は成人して以降一旦は地元に戻ったようであるが、しばらくして離れている。親元というのは、巣立つ場所であり、また帰るべき場所でもあるはずだ。叙情的で演歌的と思われるかもしれないが、私にとっての親のイメージとは、さだまさしの「案山子」の世界である。
もし、今回の事件と社会を結びつけるような因子を見つけ出そうとするなら、彼自身がどのような環境で育って来たか、彼の両親がどのような時代に生き、どのような教育方針で彼に接したか、過去にさかのぼって社会的要因を見つけ出さないと、本当の理解には結びつかないと思う。私には、今の社会を変える力なんて全く持ち合わせていない。しかし、斜に構えて「今の社会は・・・。」なんて眉間にしわを寄せ憂国気分に浸っているのは、何も生まない愚かな態度であることぐらいは分かる。先ず自分に出来る事は、自身や家族に対して、人を思いやる気持ちの大切さ、生きて行く上での基本は信賞必罰であることを再認識し、伝えて行くことだと思う。
亡くなられた方は無念としかいいようがありません。ただ買い物に行って、その時間たまたまその現場に居合わせたというだけで理不尽極まりない。この世が厭になったから死にたい、せっかく死ぬならたくさんの人を巻き添えにしようといった身勝手な犯人に、前途洋々の若者が人生に終止符を打たれる無情。おそらく遺族の方は、筆舌に尽くしがたい苦しみ、過酷なまでの悲しみ、助けられなかったかという無力感に苛まれる一方、誰でも良かったと無差別に殺人を行った犯人に対する抑えられない怒り、何とか敵討ちをできないかという復讐心、刻々と移り変わる様々な気持ちを抱えて日々の生活を送られていることでしょう。少しでも早く心の平穏が訪れる事を願ってやみません。