院長のコラム

レクサス雑感 パート3

2009.06.22

自動車評論家の愚考と愚行
最近、レクサスという工業製品を通して改めて日本製品のすごさを理解できるようになった。しかし、逆説的に考えると、そのことに気づく前は日本製品、特に車に関しては日本製を馬鹿にしていたということになる。いつからだろう、日本車はだめだと思い込み始めたのは。いや実は、思い込まされていたということに最近気づいた。「自動車評論家」という人種に騙され続けて来たこと、この人種が「日本を嫌いな日本人」を作り続けている一翼を担ってきたことを、ようやく最近理解出来るようになった。
なぜ、私が自動車評論家の存在に疑問を持つようになったのか、自分なりに検証してみた。先ず、出自がよく分からない。ある雑誌の自動車評論家のプロフィールを抜粋する「ドライビングインストラクターとしても活躍するモータージャーナリスト。女性の観点から評論する。」「時計好きの心もわかるバラエティー自動車評論家」???、通常は、出身学校はどこで、どのような経歴を歩んで現在に至り、あればその業界でどのような賞を取ったというのがプロフィールである。これなら私も明日から「若き経営者として、内科医としての観点から辛口な論評をする自動車評論家」である。ほとんどは、雑誌のライター上がりなのである。いわゆる根っからの業界人であり、専門家ではないのである。
次に、評論家とあえて称するなら、自分の立ち位置を明らかにした上で論評するか、もしくは、第三者的立場で客観性を持って自動車を評価しなければならない。自動車とひとくくりにいっても、意匠があって、基本骨格があって、エンジンがあって、足回りがあって等々自動車は多岐にわたる分野の集合体で、本来十把一絡げに語れるものではない。なのに、評論家と称する輩は平気で、足回りが硬いとか、エンジンの吹け上がりがいいとか、ボディ合成がいいとか、主観的な印象を客観的なデータを出すこともなく総論的にレポートする(私に言わせれば子供の感想文とさして変わらない)。我々の業界で、データも出さず、引用文献も出さない資料を誰が読むだろうか。私が最も許せないのは、官能的という言葉を用いる時である。極めて主観的な言葉を用いて、評論という客観的な行為をすることが可能なのだろうか。きっとモノ作りの現場にいる人達は悲しんでいることだろう。何も生産しない、汗水を流さない、全く現場を知らない人種に評価されるのであるから。
最後に、この経歴がよく分からない、非生産的な文句たれが、自動車を通して日本文化や日本人を語ることである。もちろんこの文脈から考えると、だめな車を作る、だめな文化を持った、だめな日本人である。だめだめのだめ押しである。彼らの論理をそのまま受け取るなら、最も優秀な民族がドイツで、イタリア人は芸術的だがいいかげん、アメリカ人は大雑把、インド人や中国人や韓国人、その他の民族は問題外となる。自動車の正当な評価という点でやはり優れているのはアメリカのように思う。自動車を工業製品ととらえ、品質・価格面から正当に評価している。昨年のアメリカの「カーオブザイヤー」で韓国車がノミネートされていることからも分かる。
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風景がボディに映り込みます。
時間や天候によって見え方が異なるので見飽きません。

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