少し早い春の訪れ
年の春、次男は二浪することになった。センター試験が思うほど取れなかったにも関わらず志望校は変更しなかった。忠告したいところだったが本人の人生である、本人の意思を尊重し見守った。案の定、神風は吹かなかった。親として助言しなかったことが悔やまれた。昨年の春といえば開院十周年行事があった。節目の祝い事であり、医師としての歩みを振り返る記念会でもあった。それは即ち家族の歴史でもあったため子供達にも出席するよう促した。各人それぞれに用があったようだが、二度とないことなので出席を最優先するよう指示した。けれども、次男は出席を固辞した。理由は聞かなかった。おそらく、父の晴れ舞台に浪人生として出席することが苦痛だったのだろう、心中を察し欠席することを許した。
今年も年明けそうそうから落ち着かない日が続いた。センター試験は本人が想定していたよりも取れなかった。志望校を受験するには少し厳しい点数だった。無理を承知で本人の意志を尊重するか、少しレベルを下げて確率性の高い方を選択するか、昨年と異なり今年は両親が受験校選択に介入した。不安を隠せない次男は、「『ここまで来たら、◯◯◯を受けなさい。』」って強く言ってくれたほうが楽やのに。」という他力本願状態に陥っていた。本人の人生である、親が決めるわけにはいかない。最終決定は自分自身がしなければならない。二次試験出願の最終期限ぎりぎりまで親子で落としどころを探った。
今年の前期試験は二月二十五、六日に行われた。二日目は面接試験なので、実質初日の出来が結果を左右した。本人曰く、筆記試験の結果は芳しいものではなかった。受験生を持つ保護者なら誰でも経験することだが、合格発表数日前から心そぞろになる。大抵は不合格になったことを想像する。負の連鎖とは恐ろしいもので、仕事に対する姿勢がどうしても後ろ向きになってしまう。人付き合いも控えめになる。日頃美味しいと思っていた食べ物もどこか味気ない。やるせなさをついついお酒に頼ってしまう。眠れないから飲酒量が更に増える。飲酒と睡眠不足で疲労は蓄積する一方である。ここ四年間、こんな冬を過ごしている。「冬来たりなば春遠からじ」という言葉を聞いても救われる気分に全くなれない。
三月六日は、前日の激しい風雨とうって変わって雲一つない晴れ渡った穏やかな天気であった。合格発表時間は午後三時、ネット発表は四時であった。夫婦ともに仕事があり、後期試験に取り組んでいた次男は予備校にいたため現場で合否を確認することは出来なかった。三時を過ぎて、何度も学校のホームページを覗くが一向に更新されない。受験生の掲示板もあったので見ていたところ、合格者番号に次男の番号があるではないか。しかし、発表の一時間前から「キターーーッ」とか「うかってたあああああああああああああああああぁぁぁ」とか書かれている掲示板である、確信を持てないまま妻に取り敢えず電話した。妻も喜ぶ反面、疑心暗鬼になっていた。結局、大学のホームページを確認し合格を確信した。久しぶりに、少し早い春が我が家に訪れた。(つづく)