ベターな選択
医療法人の理事長という仕事柄、履歴書に目を通すことが多く、最近では、履歴書を見てその人柄が大体分かるようになった。面接そして採用を何度も何回も繰り返し、ようやく理解できた。転職を繰り返している人には理由がある。我慢することを知らず、楽な方、易き方を選択している。スキルアップ、ステップアップするタイミングもあったはずだがことごとく逃し、選択のデフレスパイラルに陥っているのだ。したがって、このような方は、互いのため書類選考の時点で不採用としている。いみじくも、始まったばかりの朝ドラ「なつぞら」で草刈正雄演じる泰樹爺が主人公のなつに放った言葉が核心を突いている。「ちゃんと働けば必ずいつか報われる日が来る、報われなければ働き方が悪いか働かせる者が悪いんだ。そんなとこはとっとと逃げ出しゃいいんだ。だが一番悪いのは、人がなんとかしてくれると思って生きることだ。人は人を当てにする者を助けたりはせん、逆に自分の力を信じて働いていればきっと誰かが助けてくれるもんだ。」
意味合いが大分異なるけれども、我々家族も今春選択を迫られた。放任していたがため全く関心のなかった娘の学力だが、予想以上に素質があることを今更ながらに知った。結果は結果としても、国公立大学医学部に全く歯が立たなかった訳でない。不完全燃焼さがどうしても残る。とはいえ、二浪したからと言って合格の確証はない。浪人すればするほど婚期が遅れる。身近で、多浪の末、医学部受験を断念したお嬢さんを何人か知っている。我々夫婦は揺るぎない決断を下せないでいた。長男は、「本人に任せればいいんとちゃう。」とどこ吹く風である。次男は、「俺と違ってやつ(妹)は素質がある、この一年間頑張ればもっといい大学に行ける。絶対に浪人させたほうがいい。」といきり立つ次第だ。肝心の本人に聞いてみた、「もう一年頑張れるか?頑張ってみるか?」第一声が「心が折れた。」であった。一年間歩みをともにした仲間と合格の喜びを分かち合えなかった挫折感、思い描いた結果が得られなかった失望感、その一方、一年間懸命に頑張った努力したという達成感もあったのだろう。様々な感情が交錯して出てきた言葉と理解した。紆余曲折を経て、合格通知をいただいた医大に進むことを親子で決心した。安易で妥協した選択をしたつもりはない。
そもそも、人生においてベストな選択などあるのだろうか。娘と同じ年齢の頃の自分を振り返ってもそうだ。当時、国公立の医学部志望だった僕は、私立医大は全く眼中になかった。父の勧めで受けた唯一の私立が母校である。大学受験に失敗した僕は進路を悩んだ。父が僕に「(病気の)母さんのためにも早く医者になれ。医者になれば同じ、どこの大学(出身)かなんて誰も気にしないから。」その言葉に渋々応じることになった。子供達には知らされていなかったが、母が癌の末期であることを父は覚悟していた。入学したその秋に母は帰らぬ人となった。もし、その時、浪人していたらどうなっていたか、考えるとぞっとする。きっと、勉学など二の次になっていたことだろう。多浪の末、結局は私大に行くことになっていたかもしれない。その後の人生もそうだ、想像したように行った例が一度もない。研修病院の不採用、大学の医局人事、父の病と死、その後の医院継承、どの状況においてもベストな選択などなかったように思う。大事MANブラザーズバンドではないが、「負けないこと、投げ出さないこと、逃げ出さないこと、信じ抜くこと」をモットーに第二、第三、第四番目の選択をし続けた。選択した限りは後悔しないこと、与えられた環境を楽しむこと、その姿勢を貫いた末に現在の僕がある。ただし、僕自身が評価されうる人間かどうかは分からない。(つづく)