院長のコラム

愛のカタチ(1)

愛のカタチは様々だ。近頃、ひょんなことから「愛」について考える機会があった。そんなに高尚なものではなく、「愛って何だろう?」ふと考えた。愛するということは、「欲しい」という感情が芽生えなければ成立しない。それは人だったり、時にはモノだったりする。それは、瞬間的な愛から永遠の愛、衝動的な愛から理性的な愛、追従的な愛から主体的な愛、自己愛から世界愛、情欲的な愛から無償の愛まで様々なカタチがある。

愛のカタチは様々だ。例えば、対物性愛。あるモノに「欲しい」という強い感情が芽生えて、幸運にも欲しい物を手に入れることが出来たとする。ある意味、愛を成就できたのだ。そうは言っても、手に入れたものをずっと愛し続けることができるだろうか?僕はどうだろう?僕は欲深い男だ。ネット情報を検索しながら物欲が止まらない。欲しい物すべてを手に入れる財力がないので、それなりに思案する。それを着た自分、それを身にまとった自分、他人に映る自分を。かなり考えた末に物品を購入する。しかし、手に入れた途端、自分が想像していたような愛がどうにもわかない。手に入れることが目的になっていて、「なぜそれが欲しいのか?」自問自答出来ず衝動欲求に身を任せているからだろう。愛と欲望を混在させていたことを悟る。

愛のカタチは様々だ。例えば、家族愛。家族に対する愛情は誰にも負けないと自負している。というのも、僕自身が家族団欒を経験できなかったから。おそらく小学校低学年の時だったと思う。両親がいて、僕がいて、弟がいた夕食時の何気ない一家団欒の光景。暖かく穏やかで笑顔のあるワンシーン。なぜだろう、「これがずっと続けばなぁ。」ふと感じた。それを境に、二度とそんな気持ちになることはなかった。家業の繁忙に自身の成長、何かとすれ違うようになった。しかも、弟は15で地元を離れ、程なく母の発病。僕が十七歳になった時には、何も考えず無邪気に家族が集うことはなくなった。なので、自分が親の立場になった時、人一倍家族のカタチを求めた。故に、妻や子供たちに無理強いすることも多かった。この年齢になって、ようやく省みられるようになった。自分が想う家族のカタチが、父権乱用行使で真の家族愛に繋がらなかったかもしれない。

今回は大げさなタイトルになった。今秋、田辺・西牟婁郡出身者の東京会に母校同窓会会長として出席してきた。「母校愛の希薄な自分が代表だなんて笑止千万!」と思った瞬間、「ところで、愛って?」と浮かんだ。今回は、そんなよしなしごとを綴ってみた。文章に起こしてみて今更ながら、僕の周りはたくさんの愛が満ち溢れていること、そして日々それと戦っていることを認識した。

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