海陽学園を通して考えたこと(2)~格差社会の象徴?~
夏休みが終わり息子たちは学園に戻った。と同時に、我が家のにぎやかな夏休みも終わった。騒々しい毎日だったので、以前のような平穏な日が訪れたとはいえ、その静けさが妙に寂しいのも事実である。前回に引き続いて、海陽学園という学校を通して考えたことを徒然なるままに書いてみる。
自分が懸命に働いて収入を得て車を買おうとする。その際、その収入に見合うように、自分の趣味志向も交えて車を購入する。例え僕が2000万円のフェラーリを買ったとして、「格差社会の象徴だ、あんなもんは許されない。もっと税金を払え!」と誰が言えよう。衣類もしかり、僕はヨウジヤマモトが好きである。ジャケットはユニクロの10倍以上はする。それに対して、「贅沢品を着るのは格差社会の象徴だ、国税局はもっと税金を徴収せよ!」、勤労、納税をきちんとした上で残ったお金を、自分の考えで遣って人に指図、意見、非難をされる筋合いはない。
ある人は言うかもしれない、「あなたは医者で、一般の人間よりも収入があるからそんなことを平気で言えるのよ」。開業医の中では僕など負け組である(今のところは)。忘れられない出来事がある。とある銀行から融資を受ける際、収入のシュミレーションを行った。担当者から「普通の内科では1日大体60人程度の患者さんが来て、一人あたりの単価は○○○円なので、1日の売り上げは○○○くらいあります。先生のところは内視鏡検査をするので単価が高くなるとはいえ1日に50人は必要でしょう。」・・・・、開院して4年、1度たりとも50人以上の患者さんが来たことはない。開業医とはいえ地域医療を担う人材なので、「僕のところには患者さんが来ません。うちが潰れると地域医療に支障を来すから税金をまけてください。もしくは補助金をください。」と声高に叫んで誰が相手してくれるだろう。医者という比較的社会的地位が高く高収入をとっていると思われている職業にも競争があり、どうしても格差は生じる。医者に限らずどこの世界、どこの業種でも同じである。
教育も一種のサービスと考えれば、たくさんある選択肢から海陽学園を選んだだけである。勤労、納税をきちんとした上で残ったお金を、もう一つの国民の義務、子供の教育に対して支払って、他人にとやかく言われる筋合いはない。学費が高い、すなわち親の収入が高い、すなわち「お坊ちゃん学校」「格差社会の象徴」という短絡的なイメージだけで果たして一刀両断されるべき学校であろうか。海陽学園の保護者は皆が皆裕福かといえばそうでもなく、駐車場には欧州のプレミアムブランドやレクサスばかりが置かれているわけでは全くない。
当地方の教育熱心な保護者は、子息を和歌山市にある私立学校へ通わせている。田辺からだと列車通学で1時間、朝早く出て、地元の生徒より遅く電車で帰ってくる。私立学校とはいえ学校の勉強だけでは追いつかないから、帰って来てから塾になる。学校の授業料、交通費、食費を含む日常生活費、塾代等を計算したら、高いとされる海陽学園の学費も法外に高いわけではない。この文脈だけで考えると、田辺から和歌山に通わせている私立学校生の保護者だって格差社会の勝ち組である。物事はそう単純に判断できるものであろうか。
~つづく~