いじめ案件に介入して(1)
昨年の秋頃だったろうか、義父母の家に家族で食事に行ったところ、話の流れで義弟の小学生になる姪っ子が陰湿ないじめに遭っていることを祖母から聞かされた。又聞きだったため妻が弟の嫁に直接確認した。当初、姪がペンシルキャップや消しゴム、定規を買って欲しいといつもよりねだるので買い与えていたが、その頻度があまりにも多いため嫁が娘をしかったらしい。そうこうするうちに、姪っ子の机に工作用の水糊がべっとり塗られていたことから、いじめが表面化したようだ。無視、バイキン扱い、そして除け者という一般的ないじめに加えて、工作物の破壊もあったようだ。頻回の文房具購入は、実は盗まれていたことも判明した。いじめと認定した上で、学校側が加害者本人と家族を指導して一件落着になったと聞いた。我が事のように腸が煮えくり返っていた僕は、一旦溜飲を下げた。
つい先日、姪っ子と祖父母の家で食事する機会があった。「将来何になるの?」、「ピアノを習っているから音楽関係かな。」他愛ない話をする中で、「私、ひどいいじめに遭ったから、これからどんな辛いことがあっても乗り越えて行けるの。」、「ええっ?」あまりに衝撃的な言葉に絶句した。彼女の健気なさが強く印象に残る夕食となった。それから数日して、午前の診療中、妻から電話が入った。義弟の嫁が、不眠・動悸・食欲不振で体調不良になっているから診て欲しいとの依頼だった。原因を聞くと、娘がいじめられて不登校になっているとのこと。どうも、いじめていたグループのリーダー格とはクラスの組み替えで離れたけれども、サブリーダーからのいじめが再開したそうだ。「はぁ、解決済みと違うの?」怒髪天を突いた僕は、妻からの電話を切るやいなや教育委員会に電話をかけ、至急精査するよう促した。教育行政に長年貢献したものとして憤りを禁じ得なかった。その日の夜、学校に今後の対応を早急に求めるべく出向くことになった。身内の同席が可能で僕も同席したいところだったが、生憎先約があり、妻に「いじめと窃盗で警察に告訴するつもりでいること、いじめに対して慰謝料請求を考えていること」を学校に伝えるよう託した。学校側は、担任と元担任、教頭と校長の4名が対応したようだ。妻は、学校の対応はもちろんだが、被害者夫婦が自分たちの思いを十分に伝えきれなかったことにも納得できず、「(叔母の)私だけ空回りしたみたいで。」と怒りモードで帰宅していた。
翌朝には、妻と義弟の嫁が教育委員会に出向いた。改めてことの詳細を話すとともに、学校側の対応への不満をぶちまけたそうだ。二度目であったこと、教育委員会に直接連絡したこと、訴訟の可能性があることを示唆したせいか、その日の夕刻、急遽、学校、加害者と被害者家族の三者面談が開催されることになった。妻は、僕にも参加して欲しいと言う。けれども、直接の身内でないにも関わらず参加するのはどうか躊躇する僕に、義弟の嫁も、もう一人身内が参加することに了承を得ているのでぜひ来て欲しいと言う。「よし、分かった!」ふつふつと湧き上がる怒りをどうにも抑えられない。