いじめ案件に介入して(3)
そもそも今回の問題は、いじめた本人と加害者家族にある。因果関係は明白である。「いじめた側といじめられた側、それぞれに理由がある。」なんて喧嘩両成敗論を持ち出せば、今ならロシアのウクライナへの侵攻を許容することになる。前回の面談で仕事を理由に指導を欠席した父親、被害者家族の前で娘と涙ながらに謝罪をしたものの同じ過ちを繰り返した母親。「自分の娘が同じようにされたらどうします?」、「問題になった後、どのような指導をしたのですか?」、「そもそも、あなた達の教育が間違っているのではないですか!」と問い詰められ、公衆の面前で娘の行為を初めて赤裸々に知りなじられる父親。何も答えられず口をつぐむだけの母親。いじめに対する認識不足と夫婦間の意思疎通のなさが露呈した瞬間である。事の重大さに打ち震える両親にかける慰めの言葉は、もはや見当たらない。因果応報としかいいようがない。
誤解がないよう、僕は今回、他人を一方的になじるつもりはない。炎上状態になった一因は、被害者家族側にもあったことは否めない。自分の娘が陰湿ないじめを受けているにも関わらず、前面に出ず「学校に任せておけばいい。」と高をくくっていた義弟。誰にも支援を求めず一人学校に苦情を申し立て続けた嫁は、ややもすればクレーマーと捉えられたかもしれない。ここにも夫婦の断絶があった。付け加えるなら、前回開催された三者面談に義弟も参加していない。弟に厳重注意するよう妻に求める前に、「あなたがしっかりしないから、学校にも加害者家族にもなめられたんやで!」と僕以上に激昂している。実家で家族会議が開かれ、きついお灸をすえられた。今回のいじめ問題に積極的に関与しなかった義弟も、加害者家族と同罪と僕は判断している。いの一番に娘に謝らなければならないのは実の父親である。
社会問題として認知されているにも関わらず、いじめによる自殺が後を絶たない。今回、姪っ子の案件でいじめの現場に関わることになり、いじめの本質を垣間見た。いじめに対する認識が甘く危機意識が希薄で管理能力のない学校。形式上とは言え学校から警告を受けたにも関わらず、子供の指導を十分にしなかった加害者家族。娘の悲痛な叫びに大声を上げない被害者の父親。両家族とも、子供の教育は母親任せで夫婦間に意思の疎通はない。何もかもが中途半端で、当事者意識に乏しく真剣さが見られない。学校を含め誰にも怒られないから、「まぁいいか、こんなもので。」と済ませる。僕のような第三者にどなられ指摘されて、ハッと気づき事の重大さを知る始末である。いじめ対策に必要なのは、初動、そして懸命かつ賢明な大人である。三者のどこかに本気の大人がいたら、同じ人間が同じ人間をいじめるような過ちを繰り返すことはなかったに違いない。
三者面談の最後に、校長が「今後は、いじめがないようして努力してまいります。」と発言した。申し訳ないけれども僕は全否定した。「同じことが起こった以上、先生の言葉は僕には全く響きません。先生が努力したかどうかは、いじめられた姪がこの学校を卒業する時に、『色々あったけれども、この学校を卒業出来てよかった。』と言ってもらえて初めて評価されるんです。とにかく頑張ってください!」と締めくくった。
妻子さえも見ない平均週1のグダグダコラム。今回、今までになく間髪あけずに更新した。自分が感じたこと、おかしいと思ったこと、体験したことを記憶が薄れない内に記しておきたかった。コラムを投稿する前に、嘘偽りがないこと、盛っていないことを妻に初めて内容確認した。いじめに悩んでいる家族の一助になればと願う。「十分過ぎるくらい納得できる説明や謝罪を関係各方面から受けることが出来ました。」と義弟家族から喜びの連絡があったことを書きつけてこの章を終えたい。