かつての子から子へ(腕時計編)
「ロレックス持っていたやろ、型番調べてみて。(その型番なら)とんでもないことになってるで。下手したら買った時の三倍になってるみたいやで。」、突然弟から電話がかかってきた。
二十年前、父親が病で倒れた。僕はその時、北海道から上京し消化管の形態学を学ぶべく希望に燃えていた頃であった。長男として父の医院を閉院させる訳にもいかず、失意を抱えて帰郷することになった。一日五件程度の内視鏡検査をこなせば、あとはひたすら患者さんと世間話をして血圧を測るだけの日々が続いた。「これから四十年、同じような生活が続くのか。」そう考えたら目の前が真っ暗になった。高村光太郎の道程の一節「僕の前には道はない、僕の後ろに道ができる」が浮かんだ。「僕の前には、視界の開けた真っ直ぐで平坦な道が永遠と続く」、失意が絶望に変わった。その絶望を紛らわせるため、自分のモチベーションを少しでも保つため、思い切ってロレックスを購入することにした。
弟からの電話を切るや否や箱を調べた。残念ながら人気の型番ではなかった。けれどもネットで中古価格を調べたところ、購入した倍近い価格設定がされていた。下取りに出した場合、もう少し安い金額で引き取られることになるのだろうが、それでも中古品にプレミアがつくなんてロレックス恐るべしである。それよりもびっくりしたのは、ロレックスの箱からTAG Heuerの時計が出てきたのだ。F1でホンダが全盛時代、ドライバーのアイルトン・セナをサポートしていたのがタグホイヤーだったように覚えている。一目でホイヤーと解る金と銀がコンビになったスポーツエレガンスというモデルを、学生時代父に買ってもらった。その後、研修医、大学院生、勤務医と長きに渡って僕の左腕にはいつもホイヤーがあった。しかし、自分で購入できるようになってからは、何時の頃からか見失ってしまった。およそ二十年ぶりの再会である。きっと、ロレックスを頻用するようになり、持て余していたホイヤーをロレックスの箱にしまいこんだのだろう。
二十年近く箱の中に入っていたので、外装はいたって綺麗である。ただし、バックルが馬鹿になっていた。お世話になっている時計店に持ち込んでみた。電池交換で時計は動いた。その特徴的なベルトのコマ外しは店舗では困難とのこと、バックルも在庫があるかどうか分からないので本社に送ることになった。後日、二十数年も前の製品が見事に蘇って帰ってきた。これも何かの御縁、「医学生の時からしばらく使っていた時計なので、縁起物というか、お守りというか大事に使いなさい。」の言葉とともに、かつて子供だった僕から長男にホイヤーを譲った。これはある意味、亡くなった僕の父、長男からみて祖父からの時を超えたプレゼントになった。
同じ医学の道を志すようになった息子には、これからたくさん継承していかなければならない。その第一弾が、いみじくも父から買ってもらった腕時計になった。三代目が潰すという言葉があるが、初代からの贈り物に三代目の彼は、いつかきっと何かを感じるに違いない。パテックフィリップの「父から子へ、世代から世代へ」のキャッチコピーではないが、超高価な時計でなくても次世代に引き継げることが分かった。腕時計が単なる装飾品ではないことを改めて実感した。