院長のコラム

たられば

2014.08.24

ボン・ボヤージュ

広島で豪雨災害があった。3年前の同じ頃、当地でも台風12号により甚大な被害を経験したので、凄惨な災害の一端は実感できる。また、以前勤務していた大学病院の医局には広島出身者が多かったので、広島には何となく親近感がある。
多数の行方不明者がまだまだたくさんいる中で、能天気なコラムを書くことに対して抵抗感はあるけれども、体験を遡って書くと記憶が曖昧になり印象も薄らいでしまうので、敢えてお気楽体験記を書かせていただく。行方不明者の早期発見、被災地の早期の復旧復興を祈願するとともに、亡くなられた方のご冥福を祈るばかりである。

職業柄、多種多様な人と話をする機会がある。以前はあまり気にしなかったが、最近気になるようになった言葉が「たら、れば」である。「子育てが一段落したら」「仕事をリタイアして一段落すれば」「今手がけている案件がうまく行けば」「子供が巣立って夫婦二人きりになれば」「考えている規模の融資をしてもらったら」「立ち上げた仕事がうまく行ったら」等々、意識をすれば無数の「たられば」に気付くようになった。これは、自分自身が人生の折り返し点を通過したからかもしれない。話す内容を聞きながら、林修先生ではないが「そう思うならいつやるの、今でしょ!」、「天は自ら助くる者を助く、他力本願に身を任せて何か解決しますか!」と内心思っている。

僕の人生観の根底の一つに、早過ぎる両親の死がある。
ちょうど今の僕の年齢の頃、母親は癌を発病した。手術にその後の抗癌剤治療で、大輪のひまわりのような母の面影はすっかりなくなった。父は内視鏡医として一番脂ののった時期で日常診療に大わらわだった。仕事での極度の心身疲労に加えて、妻の看病もしなければならなかった。神から与えられた試練とはいえ、自分の今の生活から類推すれば壮絶極まりないものであったことは想像に難くない。
母を亡くした後、父は何を思い、何を支えに生きていたのだろう。幼子のため条件のいい病院を全国転々として、辿り着いたこの地で母親とともに長嶋医院を開業して怒涛の時間を疾走した。ようやく落ち着いてきたと思える10年目の母の発病、これからゆっくりと自分達の人生を見つめ直す矢先だった。

運良く我々夫婦は今のところ元気である。仕事も軌道に乗ってきて、少しの贅沢は出来るようになった。しかし、これがいつまで続くのか何の保障もない。両親から得た教訓をもとに、自分が健康なうちに多少の出費も厭わないプチ贅沢海外旅行を昨年から始めた。観光地を巡りショッピングに勤しむのではなく、ただぼーっと車窓を眺める、プールサイドで寝そべる、そんな何も考えない何もしない時間を長期休暇に設けるようにした。昨年初めて試みたが、何ものにも追われず、携帯電話に振り回されず、意味なくPCの前に立つことがない、何もしない時間を過ごすことよって気分一新、明日への活力が養われた。また、異国の土地で過ごすことによって、自分が何者であるかを否応なく知らされた。

長嶋雄一クリニックお問い合わせ

診療科目(内科・消化器科・胃腸科)
診察週

月・火

木・金
奇数週
(第1・3・5週)
8:00 ~ 16:00 8:00 ~ 16:00 8:00 ~ 15:00
偶数週
(第2・4週)
8:00 ~ 12:00
休診日︓第1・3・5週水曜日、第2・4週土曜日/ 祝・日曜日