とうとう、パテックフィリップ!
百貨店の外商カードを持っているということで取り敢えず予約は入れてもらえた。かと言って、優先されるということではなかった。もちろん、ショップを訪れたこともなければ実物を見たこともない。それならと、(大阪の)梅田を訪れた際、正規販売店に立ち寄ることにした。担当してくれた中華系の女性は懇切丁寧に対応してくれた。百貨店と同じやり取りをしたが答えは全く同じだった。ここ数年のノーチラスの人気は過熱を通り過ぎて沸騰中のようだ。自分が予約しているモデルについても念の為に聞いてみた。すると、「そのモデルは先日納品されましたので、現在、予約者はいませんよ。」との返答。三番目の男から一番目の男に昇格する絶好の機会である。「本当ですか?それでは予約したいのですが。」と僕。何気なく立ち寄った販売店で思いも寄らない答えが返ってきた。百貨店に直様連絡を入れ丁重に断った。それが二年前の話である。
その後、販売店担当者の異動があり、公の場では絶対に書けない紆余曲折があった。そんなあんなで予約したことさえ忘れかけていた今冬、突然、携帯の留守電に連絡が入っていた。「メーカーの方から出荷の連絡が入りました。十一月の末には納品できそうです。」と。ちょうどランボルギーニデイ・ジャパンに重なったので、翌日二十三日、販売店に取りに行くことにした。販売店を訪れるや否や別室に通された。一時間程度と思っていたが、実物の確認、支払い、保証書の記載、取り扱い方等で二時間程度の滞在となった。この間、幾つかのモデルを手にとって見せてもらえた。付けていたフランクミュラーの時計を外して左腕に載せてみた。素直に感じたのは、「フランクミュラーって案外良いなあ。」だった。大きさ・形といい文字盤といい唯一無二である。背景を一切考えずにフランクとパテックどちらかプレゼントすると問われれば、迷うことなくフランクミュラーを選択するだろう。
しかし、今の僕には十分な経験知と情報知が備わった。誰かに譲る、換金するとなった際の価値に重きを置くようになった。腕時計をある意味資産と考えるようになった。加えて歴史は重要である。パテックには、約百八十年という幾星霜を経た実績と信頼がある。現在、話題の腕時計ブランドにリシャールミルがある。価格は最低でも一千万円からである。複雑機構、高価な素材、生産本数を考えればやむを得ない価格なのだろうが、パテックフィリップの広告で使われているキャッチフレーズ「親から子へ」という視点に立てば、三十年後にリシャールミルがどうなっているか誰も分からない。ここ十年で見ても、フランクミュラーやロジェデュブイにかつての勢いに陰りが見られる。携帯電話で正確な時間を知ることが出来る今だからこそ、敢えて男が腕時計をつけることの意味を考えなければならないように思う。
この段において、パテックの何を買ったかわざわざ語らない。車を残価設定ローンで購入する男である。パテックの購入に残価設定などあろうはずもないし、特別金利キャンペーンもない。なけなしの現金でどうにか購入出来たものである。この章を終えるにあたって何を言いたいかと言うと一言、継続は力なり、である。クリニック開業当初、日本人たるものメードインジャパンを大切にしろ、このコラムで声高に叫んでいた。SEIKO、レクサスには日本人の精神が宿っていると主張していた。その男が今や、ウルスに乗ってパテックに喜々している。自分で書いた文章を読み直して不思議な感じがする。この年齢になっても成長しているのか、はたまた堕落しているのか、僕自身が分かっていない。今を生きる等身大の自分を書き記すことの大切さを身に沁みて感じている。