なんちゃってバタフライ
五十前の手習い
このコラムを読んでくれている方に質問、
「もし泳げるようになるとしたらどの泳法の練習を選択しますか。」
独断的個人的見解だが、おそらくバタフライではなかろうか。イルカを想起させるドルフィンキックに、蝶々のように両手を広げて水をかく腕の振り方。他の泳法とは全く異なる手足の動きが融合連動した場合、どの泳法よりも優美に映ると感じるのは僕だけだろうか。
通っているプールで見る限り、クロールや平泳ぎには上手下手の差があまりないように感じている。しかし、ことバタフライだけは一目瞭然である。僕が行く水曜午後に集う人達は健康維持目的の方が多いので、バタフライで泳ごうとする猛者はいない。まれにいるが、「何をバシャバシャしているのだろう?」と思うことがほとんどである。
この十月からスイミングを習い始めた。以前にもコラムで書いたように、自己流クロールの限界を感じたので、より楽に長時間泳げるクロールの泳ぎ方を自分のペースでじっくり習得したいと思った。講座名もまさにマイペースコース、週一回の九人程度の小規模な構成で、僕のような初心者からある程度泳げる中級者向けのコースである。コーチの都合により十月は自由練習、十一月から本格的なレッスンに入った。
一時間の講習の最初の十五分間は、ウォーミングアップとビート板を用いたすべての泳法のキックの練習、その次の十五分ですべての泳法を片道ずつ泳ぎ、残りの三十分が其々の自由練習でコーチが個々に指導してくれる。
初回でいきなりのドルフィンキック、ちっとも前に進まない。ましてや両腕まで使ったら、「何も言えねえ。」北島康介の名台詞とは真逆の何とも情けない心境になった。自由練習ではとにかくクロールで泳ぎ、クロールの指導を仰いだ。数週間、自由練習はクロール以外の泳ぎを排した。
何回か通うと分かったが、練習内容はほとんど変わらない。否が応でもドルフィンキックにバタフライの練習をしなければならない。1ヶ月ほどコーチの猿真似をしていたら、ありゃ不思議、コツを掴んだような錯覚を感じた。一掻きに二度のキックにリズムがあることを体が表現するようになった。この感覚は、言葉で詳細に説明できないしイメージでも伝えられない。水に潜って体を動かし始めると、無意識のうちに体が動くのだ。バタフライの泳ぎ方をするのではなく、大きく手を広げて水を掻いて二度キックする泳ぎをリズムを持って出来るようになってきた。
食わず嫌いとはよく言ったものである。絶対に泳げないし泳ごうとも思わなかったバタフライに、人生も半ばを過ぎた今、夢中である。月曜の夜は存分にバタフライが出来るので、今まで基本的に断らなかった酒席も月曜日だけは断るようになった。習い事をするまでは、「人生は四十、五十から」なんてキャッチコピーを見る度、「嘘つけ!後は衰えていくだけだよ!!!」と内心叫んでいたが、今では心底「人生は四十五十から、人生まだまだ楽しいことばかり」と思えるようになった。これからまた何を始めようか、ワクワクしている今日この頃である。