まだ、モリカケサクラ?
当たり前の話だが、我々国民は法律に則って生活している。言を待たず、日本は法治国家である。罪を犯せば逮捕される。その後、取り調べや捜査により起訴するかどうか検察官に判断される。起訴されれば裁判の上、起こした罪に対して然るべき罰が下される。「日本の刑事裁判の有罪率は99.9%」、裁判ものドラマでよく聞くセリフ。この言葉は裏を返せば、検察官は勝てない喧嘩をしないということである。「いや、おかしい。絶対裏があるに違いない。もっと調べて起訴して!」と懇願されても、裁判で立証できる証拠がなければ負けてしまう。と言うことはすなわち、不起訴となれば「疑わしきは罰せず」、無罪と同義語である。大前提として、法治国家に生きていればの話だが。
我が家は新聞二紙をとっている。日経新聞と地元紙、理由はいたって単純明快。朝日・毎日は全く持って地球圏外。読売は巨人一辺倒、産経はフジテレビのかつての偏向報道が鼻につき却下。経済情勢に強い日経新聞が他紙よりすべてにおいてバランスが良いと判断した。地元紙は、付き合いと訃報広告のためだけ。これだけの情報化社会にも関わらず、身近な訃報を手に入れることは地方でさえ困難。参列する、献花を供える、この行為こそが故人および遺された家族にとって最高の礼節と僕は考えている。かつては地方紙の訃報広告を見て、お世話になった方々の通夜に参列していた(もちろん、紀州のドンファンも)。ところが昨今、コロナ禍になって葬儀の仕方が一変した。「近親者だけで済ませました。」、事後報告が大半になっている。
話が随分と逸れた。先日、まったりした記事満載の地元紙トップ面に「安倍元首相の功罪、モリカケ問題」という文面を見つけた。「まだ、こんなことを言っているの?」瞬間的に憤りを覚えたけれども、逆にいつまでも思考停止状態のマスゴミに哀れさえ感じた。モリカケ問題を端的に言うなら、安倍元首相が森友学園や加計学園に見返りを求めて便宜を図ったかどうかである。刑事告発された記事を読んだことはある。しかし、その後、逮捕され裁判が行われ刑が確定したという事実はどこにもない。それは「桜を見る会」問題も同様で、検察審査会から「不起訴不当」の議決を経ても、最終的には不起訴処分になった。それにも関わらず、銃弾に倒れた後も真実を闇に葬ったと報道する次第だ。気に入らない人を疑わしいと言うだけで告発し犯罪者扱いにする。そして、推定有罪者に仕立て上げ一方的に人権をなきものにする。この行為が、重大な人権および三権分立への侵害ということがわからないのだろうか。法治国家の全否定および民主主義への冒涜行為という認識が理解できないのだろうか。
すべては理性なき感情論だ。坊主憎けりゃ袈裟まで憎し、晋三が悪ければ昭恵まで悪し。こんな支離滅裂な論理がまかり通って大勢を占めるこの風潮。個人や組織に不都合な人物を排除するための印象操作と情報操作、これがプロパガンダである。自分を限りなく正当化し、反対勢力をことさら悪者に仕立て上げる。そして、排除することこそが正義と一刀両断する。ここまでくれば理解していただけると思うが、現在マスゴミがしていることはロシアや中国がしていることと何ら変わりはない。これらの考えは、あくまで個人的見解である。痴呆紙を読んだ地方住まいが治法について戯言を述べてみた。この考えに少しでも同調してくれる方がいるなら幸甚だ。