まちがいさがし
まちがいさがしの間違いの方に
生まれてきたような気がしたけど
まちがいさがしの正解の方じゃ
きっと出会えなかったと思う
菅田将暉「まちがいさがし」のAメロの歌詞である。
結婚して第一子ができ、社会人として働き始めた自分にご褒美として、腕時計に四十万円もの大枚をはたいた。その時計が日常生活使い出来ないと知った時の僕の気持ちを分かってもらえるだろうか。「何で、革ベルトの使えない時計を買ったんや?」「世間の流行におもねてロレックスにすれば良かった。」、「後悔先に立たず」というよりも「死んでからの医者話」の方が自分には妥当か。白か黒か二つに一つの価値観を求める性格が故、自分の判断を後悔し決定をまちがいと自身を断じた。革ベルトを交換して以降、オメガの購入はなかったことにして小物入れの中に封印した。この時の経験で、二つのことを理解した。至極あたり前のことなのだが、「革ベルトの時計は汗ばむ時期にしてはならぬ。」、「革ベルトの時計は肌身離さず身に付けてはならぬ。」である。この出来事がトラウマになり、僕の時計選びの基準は劇的に変化した。一に日常使いが出来る、二にブレスはステンレス、三に一目で存在感がある、この三基準で腕時計を選ぶようになった。
忘れた頃、手にとって見るオメガ、見る度に胸が痛くなった。いつの頃からか、ワインディングマシーン(時計巻き上げ装置)にセットしても半日も動かなくなってしまった。身に着けないため、ずっと放置していた。購入して二十有余年、コロナ禍の前に初めてオーバーホールに出した。この六月に返却されて、じっと向き合ってみた。今となっては女性用かと見まごう大きさ、至ってシンプルな漆黒の文字盤とバーインデックス、ピンクゴールドの艷やかな輝き、裏から覗くことの出来る1120のキャリパー。「おっ、案外いいやん。」、率直な感想である。この歳になってようやく、この時計のエレガントさを理解できた。改めて、納品された際の収納箱を取り出してみた。保証書の購入年月日が1996・9・17、誕生日の翌日になっていた。このオメガは、単に三十歳の時に購入したものではなく、自分への誕生日プレゼントだったのだ。当時の自分が何を考え、何を思っていたのか、瞬間的に蘇ってきた。
今、振り返ると感慨深い。僕が初めて購入した機械式腕時計は、いきなりステーキではないがいきなり究極だった。無知が故、過去・現在・未来にも絶対に買わなかったであろうドレスウォッチという時計を成り行きで選択した。
あの日(自分の誕生日)、あの時(北海道岩内)、あの場所(雑誌)で君(オメガ)に逢えなかったら
僕らはいつまでも見知らぬ二人のまま (By 小田和正)
「あの時のオメガの選択はまちがいだった。」、ずっと思ってきた。「あの時、ロレックスだったら、、、。」、ずっと考えてきた。今、ようやく分かった、このオメガは、三十歳のかつての僕から今年五十四才になる自分へのプレゼントだったのだ。時を超えた自身へのご褒美だったのだ。何だか泣けてくる、生きてきて良かった。紆余曲折はあった。まちがいだらけの人生だった。でも、その時の判断は、振り返ると間違いでは無かった。これからも、まちがいさがしの人生である。けれども、振り返ってみれば「間違いの人生なんて決してない。それも含めて自分が歩んで来た道なんだ。」、今なら胸を張って言える。