もう師走
もう限界?
最高気温が連日15℃以上あるせいか十二月になった実感がない。例年なら、そろそろ薪ストーブをいれる頃である。ストーブに火をおこすのは僕の役目である。診療開始一時間前には登院して準備しなければならない。スムースに着火することもあれば、くすぶって時間を要することも多々ある。その日の気温や湿度、風量が影響するのか、はたまた自分の精神状態が影響するのかよく分からない。
早起きに加えて手間暇を考えれば、何度、薪ストーブの火入れを諦めようと思ったことか。けれども、その行為がもはや、本格的な冬の到来を自身に意識させる恒例行事になってしまった。しかも、初火入れの時、感じる得も言われない木の香りと温もりは、何ものにも代え難い貴重な瞬間である。思わず槇原敬之の「冬がはじまるよ」を口ずさみたくなる。何よりも、来院してくれる患者さんへの僕なりのおもてなしの象徴でもある。「やっぱり薪ストーブはいいですね。」その言葉に、挫けそうな僕のココロは何度救われたことだろうか。そつなく進行した日は、登る朝陽を感じながら飲む珈琲の何と美味しいことか。まだまだ暖かい日が続きそうなので、もう少しだけゆっくり眠られそうである。
師走になった実感を持てない理由は、なんだかんだと慌ただしいからだ。今年は、忙しかった昨年よりも更に忙しい。忙しさの程度を表現する言葉はよく分からない。去年を忙しいとするなら、忙しさの頻度が多くなったから今年は多忙としよう。
今夏、新しい事業、介護事業へ参入した。天命を知るはずの五十を前に、未知の世界に足を踏み入れた。例え新しい世界でも、経験知から迷うことはないと思っていた。だが、日々もがいている、葛藤している。僕の人生、振り出しに戻ったような気がしている。正直、精神的に辛い。
今夏、夢を叶えるべく新たな一歩を踏み出した。ギター教室に通い出したのだ。ノリで始めたが、ノリに乗れない乗りきれない自分に腹立たしさを感じている。子供の頃、三輪車から二輪車に乗り変える時のような気分だ。僕の人生、再び振り出しに戻ったような気がしている。正直、これは嬉しい悲鳴である。練習した分、成果が上がっているからだ。
精神的な多忙には許容範囲がない。要は心の持ちようである。発想の転換でやり過ごすことができる。だが、肉体的・時間的多忙には、残念ながら限界がある。有難いことに今年になって、一日に二十件程度の内視鏡検査をさせてもらえる日が多くなった。この検査件数を一日でこなそうと思えば、僕のような凡人は、朝の八時から夕方の五時まで休みなく働き続けなければならない。下がり続ける血糖、疲労していく筋肉、蓄積していく疲労物質に伴って衰えるモチベーション。こればかりは、いくら体を鍛えても制覇できない。現在の僕の体型は、スイミングをしているおかげで開業当時よりもむしろ引き締まっている。けれども限度がある。現時点で、一日の最高検査件数は二十五件である。これが僕の肉体の極限なのか、それともまだまだ先へ進むことが出来るのか。戸惑っている十二月六日の、ほろ酔い時刻である。