院長のコラム

もう誕生日なんていらない。

五十歳を迎えて  

今年は、例年になく誕生日を祝ってもらった。
十三日は製薬会社担当の送別会だった。締めのスイーツが何とバースデーケーキで、突然、ハッピーバースディの祝福を皆から受けた。例年、「誕生日おめでとう。」と言われても、「そんな年ではないから。」と素っ気ない返事をするのだが、まさに晴天の霹靂、あまりのサプライズに動揺するとともに素直に嬉しかった。人を感動させる要素が分かった。それは意外性である。送別会に誕生会を重ね合わせた主催者にただ感謝するばかりである。
翌日は、ギターを一緒に習っている不動産会社専務との定例会である。「我々もそんな歳になったんやな。」居酒屋のカウンターでしみじみと語るだけである。

翌十五日は、イタリア人シェフのお店で定例のワイン会があった。前々日と同様、締めのスイーツがバースデーケーキで、九月生まれの方達数名とともに、三十名近くの参加者から祝福をいただいた。ワインを相当飲んでいたので、嬉しさよりもただはしゃぐだけだったように憶えている。
誕生日は、例年通り自宅で細やかにとり行われた。いつもと違うのは帰省していた長男がいることだった。けれども、仕事の疲労が頂点に達していたようで、家族と語ることもなくケーキを食べて九時過ぎには床についた。五十歳という年齢にただならぬ思いを抱いていたが、何ともあっけない誕生日になった。

十七日は、現代作家の古畑さん夫妻と画商との家族ぐるみの食事会だった。お願いしていた作品の納入を兼ねて当地で集うことになっていた。十七年間の互いの歩みをねぎらうとともに、今後のますますの活躍を誓いあった。特に今回、子供たちの成長を古畑夫妻に直に見てもらえたのは良かった。松本と田辺在住、医師と現代作家、出会いは奇跡としか言いようがない。
翌十八日は、定期的に家飲み会をしている夫妻との定例会であった。食材を持ち寄ってただひたすらワインを飲むだけの会である。いつもワインボトルが六、七本空になる。両親とも知人・友人はたくさんいたが、自宅に呼んで夫婦付き合いをしている方はいなかった。我が家で気兼ねなく飲める友人を持てたことに、改めて喜びを感じた。
少しあいて、二十一日は一回り年の離れた高校の先輩と後輩と三人の飲み会であった。先輩からは何かと指導を受け、後輩からは面白い話題を色々聞かせてもらった。何かと心配してくれる先輩に、慕ってくれる後輩、彼らは僕のどこに惹かれるのだろう、世代を超えて飲むことは大変勉強になる。

今年は、たくさんの方から五十歳の祝の言葉をいただいた。五十という言葉の響きに慣れていないせいか、全力疾走した四十代が名残惜しいのか、それとも、母親が迎えられなかった五十を鬼門と感じていたのか、本人としては全く嬉しくなかった。しかし、こうして振り返ると、たくさんの方々から祝っていただけたことに意義を感じなければならない、そう思った。(つづく)

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