アマンって何ですか
脳裏に焼き付いた言葉
このコラムを読んでいる方は、月あたり延べ二千人くらいいるそうだ。週一で更新しているので、実際は五、六百人くらいだろうか。その中にアマンという言葉を聞いてピンとくる人はどれくらいだろう。正直、昨年の夏まで僕は露ほども知らなかった。
元来、自由旅行はあまり好きでない。立場上責任を求められるからだ。仕事でも家庭でも責任を求められ、休息目的の旅行まで責務を求められたらたまったものではない。家族旅行なら旅行会社主催のパッケージツアーが最適である。黙っていても行程通りに進めてくれる。何も考えなくても景勝地に連れて行ってくれる。何も考えない、何もしない、誰かの後に付いて行けばいい、これが一番である。人生も同じようだったら、とふと考えることがある。
海外旅行は尚更である。医者だから英語が堪能、これは大いなる誤解である。日本人を相手に仕事をし、読むもの見るもの聞くものすべてが日本語に囲まれた環境である。英語論文を読まないのか、とツッコミが入りそうだが日本語論文を読むのもままならないくらい開業医は多忙である。なので、恥ずかしい話だが博士とは言え、なんちゃって博士で、正直なところ英語は不自由である。
海外旅行が苦手な理由はもういくつかある。心と同じくらい僕の腸は過敏なのである。好き嫌いなく何でも食べられるのだが、腸機能の閾値が非常に狭い。東南アジアの食事は香辛料が効いている。美味しい美味しいと食べ過ぎたなと思ったら効果てきめんである。トイレは何処?景勝地で何度心そぞろになっただろうか。もっと硝子の少年なのは、恥ずかしい話だがおしりである。もはやウオシュレットのない生活は考えられない。ティッシュだけなら数回もすれば腫れ上がってしまう次第である。
昨年御縁があり、金銭的にも心情的にも清水の舞台から飛び降りるつもりで東南アジア旅行に出かけた。その道中、某有名調理師学校の幹部連中と思われる一行と出くわした。たまたま話す機会があり、「いつもこのような旅行をしているのですか。」と僕、「今年はたまたまよ、いつもはアマン巡りをするんだけどね。」との返事に、「アマンって何ですか?」と無邪気に尋ねた。言外にアマンを知らないのという雰囲気を漂わせながら、「アマンはいいわよ、あなたも機会があれば行ってみたらどう。」と勧められた。ほろ酔い加減の喧騒の中での会話だったので、話した内容はほとんど覚えていなかったがアマンという言葉だけが脳裏に焼きついた。
旅行を終えて半年くらい過ぎた頃だろうか、カード会社発行の雑誌を眺めていたら旅行記とともにバリとカンボジアのアマンツアーが企画されていた。そこで初めてアマンリゾーツのことを知った。アジアを中心にラグジュアリーホテルを展開していること、世界中の人々を魅了するアマンホスピタリティ、それ故に各地のアマンを巡るアマンジャンキー(アマン中毒)がいること等、その伝説をようやく理解した。記事には、バリ島にはアマンリゾートが3ヶ所あること、予約次第では3ヶ所を巡ることも可能と書かれていた。
「アマンはいいわよ、あなたも機会があれば行ってみたらどう。」という言葉が蘇った。