院長のコラム

アマンへの道

2014.09.7

珍道中の始まり

夜明け前のエアポートラウンジ

 「人生には千載一遇の機会が日々身を潜めている。生かすも殺すもあなた次第。」
誰かの有名な格言ではない。安室奈美恵の「Chase The Chance」の一節「夢なんて見るモンじゃない語るモンじゃない叶えるものだから」からインスパイアされた不肖な僕の人生訓である。当たり前だが、たった一度の人生、明日さえも保証されていない人生である。カード会社発行雑誌のアマンツアー企画を眺めながら、漁夫の利、三方両得、終わりよければすべてよし、脈絡のない訳の分からない言葉が次々に浮かんできた。当たるも八卦当たらぬも八卦、折角旅行するなら1回の旅行で3ヶ所巡れたらこんな幸運なことはない、と自らに言い聞かせながら旅行会社に電話してみた。
「時期が時期だけに3ヶ所巡るのも大変困難なことですが、何よりも飛行機のチケットが取れなければ話になりません。飛行機のチケットが手配できてから3ヶ所を回れるかどうか予約を取ってみます。ちなみに、1ヶ所もしくは2ヶ所の滞在では駄目ですか。」の返事に「もちろん、ダメです。」ときっぱりと答えた。「それでは一生懸命頑張ってみますので、しばらく時間をいただけますか。」との返答だった。

数週間経っただろうか、旅行会社から確認の電話が来た。「さすがに直行便は無理なようですが、タイ経由なら取れそうです。それで構わないなら、引き続きアマン3ヶ所を巡れるかどうか手配してみます。」夢を叶えるためなら、直接だろうが間接だろうが、最短だろうが遠回りだろうがゴールに辿り着ければそれだけでいい、「その方向でお願いします。」反射的に言葉が出てきた。
それから今度はたった数日後に、「バリのアマン3ヶ所を巡るツアーが取れました。下見に行ったことがあるので、こちらの判断でアマンキラ、アマンダリ、そして最後にアマヌサのコースで予約を取りました。」
予約が取れたら取れたで、嬉しいような悲しい事態になった。予約が取れたことはこの上もない幸せだった。しかし、四度目の歳男を迎える今年は高校の同窓会が企画されていた。アマンを取るか、高校の同窓会を取るか悩ましいところであったが、二度と行けない可能性の高い方を選択した。

八月十二日はお盆前で普段よりも検査件数が少なかった。夕刻に診療を終えるや否や帰宅して旅行の準備、夕食をとらないまま十九時半過ぎに関西国際空港に向けて車を走らせた。二十一時過ぎに空港へ到着、各種手続きを済ませてエアポートラウンジに落ち着いたのが二十三時前だった。いつもならそろそろ寝床につく時刻だが、その日はようやく軽食と一日の終りのビールにありつけた。
期待に胸を膨らますよりも、この先どうなるのだろうか不安だった。というのも、零時半に離陸して夜明け前の四時半にタイ・スワンナプーム空港到着、五時間もの待ち時間の後九時半にバリ・デンパサール国際空港へ向けて出発し、十五時頃現地に到着予定だった。かつて経験したことのない強行軍に心もとなかった。

夜明けのスワンナプーム国際空港

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