院長のコラム

ゴールドフィンガー2011 パート2

もう アチチアチチ 
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6月26日(日)午前

昨晩はさんざんの店長さんだったが、有り難い事に、昨日会食した奥さんから昔着た振り袖のメインテナンスを依頼された。その方の自宅を訪問してから帰ることになった。僕も一緒に振り袖を見せてもらったが、素人でもその良さが分かる日本刺繍が施された逸品だった。今では刺繍と言えば中国の仕事が多く、現在同じモノを作ろうとするならトヨタのマークXが優に買えるくらいの金額になるそうである。高いものには高い理由があり、安いものには安い理由がある。僕はファストファッションを極力買わないようにしている。日本の手仕事、ひいては日本の伝統文化が失われて行くのを知っているからである。
行きは山中を通る国道311号線で来たので、帰りは海沿いを通る国道42号線で帰ることになった。古座にある鰻屋で昼食をとることにしたが、あいにく2店とも閉まっていた。それではと、串本のかつお茶漬けの有名な店に行くことにした。

6月26日(日)午後

そのお店は、関東地方で大きな声で話すことを少しはばかられる店名だった。昔の家といった佇まいで、正直なところ不安だった。しかし、開店と同時に入るや否や、次から次へとお客さんが入って来て、あっという間に満員になった。我々3人は満腹定食を頼んだ。昨日飲み過ぎたせいか、喉が渇いていた僕は、お茶を飲もうと急須を持ってお湯のみにつごうとした。そこで事件が起こった!!!
沸騰したてのお茶が僕の左手にどっぷり、たっぷりとかかってしまった。HIROMI GOの♪もう アチチアチ、感じたんだろうか♪ どころの騒ぎではない。あっ!痛い!と叫びそうになったが、本当に痛い時は声も出ない。周りが心配してくれたが、当初「いやあ、大丈夫ですよ。」と強がってみせた。しかし、みるみるうちに痺れて痛くなり、とうとう左手で茶碗も持てないくらいになった。お店の方に氷を持って来てもらいとにかく冷やした。
田辺までの道中は悲惨だった。周期的に痛みと痺れが交互に襲って来るのだ。2人にあまり心配をかけさせまいと懸命に話すのだが、僕の頭の中ではユーミンの「リフレインが叫んでいる」の♪どうしてどうして僕たちは・・・♪の一小節が駆け巡り、どうしてあの時僕はお茶を飲もうとしたのか、なぜもう少し慎重にしなかったのか、明日からの診療は大丈夫だろうか、激しい痛みの中でとにかく後悔の念ばかりであった。

6月26日(日)夕刻~夜

自宅に帰ってからも冷やし続けた。そうしなければ、あっという間に痛みと痺れが襲ってくる。その夜は、この地域で誰もが知っている有名な会社の組合長、僕は略して組長と呼んでいる方の誕生会だった。縁あって誘われていたがこのような状況、痛みはもちろんモノも掴めない状態である。出席できたとしても、会の主旨上アルコールを飲まなければならない。これが第三者に相談されたなら「自殺行為ですよ」とたしなめているところである。知り合いに電話をかけて欠席させてもらう旨話そうとしたところ、組長が僕の出席をとても楽しみにしてくれていることを知らされた。思案の末、左指に軟膏をつけバンドエイドをぐるぐる巻きにして出席することを決意した。

お店を借り切っての盛大な誕生会であった。お店に入るや否や、組長に大声で紹介され(普通でも大きいのだが)、組長の招きで同じテーブルに座らされた。この誕生会は、会社にとって重要な催しなのであろう、出されるワインが半端ではなかった。1本1万円以上のワインが普通に出てくる。極めつけは、35年モノ、おそらく市場価格で8万円はするワインまで出て来た。自分で頼むなら1本でも恐れ多いのに、値段を気にする事なく10種類近くはいただいただろうか。
「ああ何て幸せな人生なのであろう、こんなこと我が人生で最初で最後かも・・・」と思えるくらい至福の時を過ごした。いつの間にか痛みも消えていた。「人生山あり谷あり」、こんな素晴らしいワインを楽しむためには、今回のような苦難を享受しなながければならなかったのか、おお神よ、と感じずにはいられなかった。

翌日、僕のゴールドフィンガーはどうにかこうにか機能した。その後腫れ上がった指は水疱を作って数日でつぶれ、その皮はめくれ上がり、ずる剥けた真っ赤な皮膚が露出した。その指は写真のごとくである。
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