スーパー・ナチュラル・ウーマン
僕のスーパーマン
佐野元春、四文字熟語ではない。
僕のコラムを読んでくれている方は何度も何回も、幾度となく、念仏のように、バカのひとつ覚えのように繰り返しその名前を挙げているミュージシャンである。
十月二十五日大阪、場所は数多のミュージシャンから東の武道館、西のフェスティバルホールと称されているコンサートホールの聖地である。今回の大阪も、実は佐野さんのコンサートが主たる目的であった。けれども、佐野さんのライブと同じくらいエキサイティングなマニア垂涎の逸品とも出会えた至福な日になった。
その日の佐野さんの印象は二つ、「いつになく声が出ているな。」「なぜこんなに饒舌なのだろう。」だった。その日の楽曲はもちろんのこと、MCまで元春ワールド満載だった。話す言葉の一つ一つが心に響いた。中でも、「スーパー・ナチュラル・ウーマン」を演奏する前に言い得て妙なMCがあった。
「僕は3年間、男と女の違いをずっと考えていたんだ。冗談だろと思うだろう。」と独特のタイミング、特有の言い回しでMCが始まった。
「男は、目の前に山があれば、それを越えようとする。何か障害があれば危険を顧みず挑もうとする。戦おうとする、征服しようとする。けれども女は違う。目の前に山があれば、山を避けて平地を黙々と歩き続ける。障害・困難があってもそれを避けて決して無理をしない、平和的でとても賢いんだ。」うろ覚えだが、このようなニュアンスのことを語った。
このMCを聞いた瞬間、我々夫婦のことが浮かび妙に納得した。2年ほど前から、健康のため夫婦で水泳を始めた。当初、15mのプールを泳ぐだけでも息も絶え絶えだった。どげんかせんといかん、本を読みネットで調べyou tubeを見て、10往復は出来るようになった。けれども、泳げるようになったらなったで、今度は見栄えを気にするようになった。自己流ながらリズムの良い日は1時間泳げるようになったが、自己流の限界も感じざるを得なかった。この秋からマイペーススイミングというスポーツ教室の講座を受講することにした。
一方、僕と異なり、妻はこの2年間全く変わらなかった。泳ぎ方、泳ぐ距離、何も変わらない、何も変えようとしない。変えたのはゴーグルと水着だけである。まさに我が道を行く、健康維持目的以上のことをしない。
コンサートの余韻が薄れて行ったある日の寝床で、何気なくこのMCが浮かんだ。
男性でも女的な人もいれば、女性でも男的な考え方をする人がいる。あのMCは、単純に性差のことを言った訳でもなければ、フェミニズムを否定するものでも勿論ない。女とはすなわち母性、善悪の別け隔てなくすべてを包み込む寛容性を持つことの重要性を説きたかったのではないだろうか。世界のあちこちで対立、紛争が起き、我が国も隣国との緊張は高まる一方の昨今、佐野さん流の平和へのメッセージではないだろうか、まどろみの中でそう思った。
佐野さんがどのような目的を持ってあのMCを発したかは、彼以外誰も分からない。僕は当初夫婦の日常が浮かんだが、余韻の中で平和のことも少し考えた。
佐野元春、僕の意識を励起し続ける僕のスーパーマンである。