院長のコラム

ビルエバンスと珈琲、そして江川さん。

2010.09.4

江川珈琲工房のこと

ネットで探した画像です。
まさにこの写真のような、知る人ぞ知る珈琲工房です。

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江川珈琲に行くと、その時々の気分でネーミングされた様々なブレンドコーヒーを注文した。確か、江川さんが使うコーヒーカップは「ノリタケ」のものだったと思う、色彩鮮やかなものからブルーだけのシンプルなものまで、その時々の僕の表情や雰囲気を見てコーヒーカップを選択してくれた。コーヒーをブラックで飲めるようになったのは、江川珈琲に行くようになってからである。渋み、苦み、酸味などコーヒーの複雑な美味しさを教えてもらった。
大学院は旭川を選んだので、倉敷を去る最後に挨拶をしに江川さんのところへ立ち寄った。江川さんの煎った珈琲が飲めなくなる、もう心の拠り所がなくなるのだ、と思うと何とも言えない感覚に襲われた。別れる寂しさをじっと我慢していたが、「北海道でも頑張ってください。時々はうちのことを思い出してくださいね。」と手渡されたのがビルエバンスの「Waltz for Debby」だった。涙が出ていたかどうかは分からない、ただ胸が苦しくなり目頭が熱くなったのは確かである。

後日、舞鶴からフェリーに車と一緒に乗船し、朝早く小樽に到着し旭川のマンションに車を走らせた。そのマンションは、忠別川を挟んだ旭川駅裏の大雪アリーナ近くにあり、近辺では比較的高層なマンションであった。従姉妹に引っ越しの手伝いをしてもらい、独りぼっちになった夕刻、つないだステレオが聞こえるかどうか試したCDが「Waltz for Debby」だった。そのアルバムを聞きながら、窓から見えるほんのり赤くなった冠雪を抱いた大雪連峰を眺めていると、これから北海道で頑張って行くんだという期待はわずかで、見ず知らずの土地で一から生きて行かなければならないんだ、という不安感、孤独感に襲われた。その時聞いたビルエバンスのピアノの旋律は一生忘れられないものとなった。

9年後、諸事情により再び倉敷で生活をすることになった。江川珈琲は江川ジュンザブロウ珈琲工房と名前を変え移転していた。作りも煉瓦作り様からコンクリート打ち放しのモダンなものになっていた。単身赴任、父親を亡くした傷心、未来への不安感、その他諸々の葛藤があり、ほとんどの週末、江川さんの所に立ち寄った。江川さんは、以前よりさらに真摯に焙煎道を極めようとしていたし、以前と変わりなく紳士的に対応してくれた。
ある頃を境に「最近目が疲れて、頭の後もこるんよ。」と体調不良を口にするようになった。大丈夫かなと思いつつ、かかりつけ医に相談されているようだったので、あまり気にも留めていなかった。ある日突然、「しばらく閉店します。」との紙が扉に貼られた。何度行っても閉店したままだった。4ヶ月くらいしてからだろうか、ようやく再開したようだったので訪ねてみると、奥さんが対応してくれて江川さんが亡くなったことを告げられた。

クリニックでは、今ビルエバンスが流れている。クリニックの雰囲気にとてもマッチしているようで、患者さんアンケートを見てもすこぶる評判がいい。居心地のいいクリニックの重要な役割を担っている。江川さんとの出会いがなければ、ビルエバンスをクリニックのBGMに選択することはなかったであろう。珈琲とビルエバンス、僕の人生に絶対に必要なものではないけれど、欠かすことのできないものを教えてくれた江川さん。あれから20年以上経ってその出会いが運命的なものだったことを感じるとともに、江川ジュンザブロウという一市井の人ではあったが、珈琲とビルエバンスはもちろん、仕事に取り組む姿勢、仕事に対するこだわりまでも教えてくれた。今は亡き江川さんに、改めて感謝をしたい。

このコラムを書き出して、しばらく音信不通になっていた江川珈琲に電話をしてみた。電話の向こうで元気そうな奥さんの声を聞けて思わず嬉しくなった。お任せで珈琲豆を注文した。到着が楽しみである。

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