プラトニック
久しぶりの野島伸司作品
話題を振りまいたドラマ「MOZU」がwowwowでも終了した。少し拍子抜けたラストではあったが、壮大な構成、独特な映像、個性派俳優の競演等エンターテインメントとして十二分に楽しめた。「MOZU Season2」は毎週日曜日午後10時に放送されていたが、ちょうど同じ時刻にNHK BSでとある作品が放送されていた。こちらを観てから録画していた「MOZU」を観るのが自分の約束事であった。両作品が同時放送されていた約1ヶ月、日曜夜はまさにゴールデンタイムであった。僕の細やかな楽しみに終止符が打たれ、またいつものような味気ない日曜の夜が戻ってくる。
とある作品とは、脚本野島伸司、中山美穂久しぶりのドラマ主演の「プラトニック」である。野島伸司脚本といえば、我々の世代にとってはタイムリーである。「愛という名のもとに」「高校教師」「この世の果て」「人間・失格~たとえばぼくが死んだら~」をかつて観た。社会のタブーに果敢に挑み、懐をえぐる突き刺さる台詞にドラマを象徴するテーマ曲。何れの作品も当初、嫌悪感・抵抗感を抱くのだが、いつしか野島ワールドに引き込まれていった。脚本家でドラマを観るようになったのは野島氏が初めてである。
しかし、社会人として仕事に忙殺されドラマを観る時間を失い、オウム事件等ドラマ以上の現実を目の当たりにし、何よりも野島氏の特色が逆にあざとさと感じるようになってからは、野島作品を意識的に避けるようになった。
ドラマ「プラトニック」は、先天性心疾患を持った娘を看護するために女を捨てて母に専念することを決意した主人公と、自らの心臓を提供すると申し出た脳腫瘍を患った青年との物語である。正直、時に中山美穂さんに年齢を感じる場面もあったが、母親と女の間を揺れ動く役を独特な台詞回しややるせない表情で好演していたと思う。最後の方の場面では、映画「ラブレター」に通じる切なさに思わず息を呑んだ。死を決意し達観した青年(堂本剛さん)の態度や台詞が身に染みた、自分もこのように振る舞えたらと。クライマックスで流れるビリー・ジョエルの「ストレンジャー」や「オネスティ」が心に響いた。昨年はまったドラマ「雲の階段」と同じくらい、それ以上の衝撃的な結末も、むしろ素直に受け留められた。20年振りに野島作品に圧倒された。僕が遠ざけていたのは、彼のあざとさではなく自分の卑しさなのだろうか。また一つ、僕の心に深く刻み込まれたドラマが増えた。
「雲の階段」以来ドラマの掲示板を覗いてみた。視聴率は低迷したままで終わった「雲の階段」だが、ネット上の掲示板には熱狂的な視聴者がいた。一方、「プラトニック」は残念ながら五点満点中一点、二点の評価が多かった。
いつもこのような掲示板を見て思うことがある、そんなに面白くなければ見なきゃいいのに、人のモノづくりに対して一刀両断に一点、二点を付けられる方の人間性や精神状態はいかがなものだろうと。僕なら面白くない番組ならスイッチをすぐ切り替える。したがって、評価の対象にさえならない。美味しいものを食べるのが好きだが、美味しくなければ二度とその店には行かない。一度しか行っていないので、評価までは出来ない。美味しくても高ければ行かない。高くて美味しいのは当たり前なので評価に値しない。自身が評価に値する人間でないことを重々承知しているので、匿名を隠れ蓑にしてさえドラマの掲示板や食べログで評価をしたことがない。評価するのは他人や他人の作ったものではなく、自身の言動だと常日頃思っている。したがって、後悔すること、自身が嫌になることばかりである。