ホテル雑感
ホテルに泊まることが好きだ。なぜ、好きなのかはよく分からない。幼心に刻み込まれた記憶が、ホテルに泊まる度に蘇るのかもしれない。幼心に刻み込まれた思い出とは・・・。
小学5年生の時、鹿児島ラ・サールの見学に母親と二人で行った。その際、泊まったホテルが城山観光ホテル、これが僕の原点である。幼心にも、素晴らしいホテルと感じた。佇まい・風格・サービス、当時はこのような言葉は知らなかった。けれども、圧倒される何かを感じたに違いない。そうでなければ、たった1回しか訪れたことのないホテルの名前など憶えている訳はない。
社会人になってから、不思議とホテルの選択にこだわっている。その選択には、公私・価格は関係ない。仕事でも安いホテルに泊まることもあれば、その逆もある。自分の心の中の、ある絶対的な価値観を持ってホテルを選択している。
シティホテルといえば、非日常・訪問者・滞在拠点の3点がキーワードである。
『ホテルの「非日常」』
日常生活において、仕事場しかり自宅しかり雑然としているのが通常である。雑然の中の整然、ドアを開ければ、いつもの姿がそこにあればいい。しかし、ホテルでは、ドアを開けて入れば、すべてが整然としている。日頃味わえない完璧がそこにある。日常を離れた証が、ホテルの整然でなければならない。
以前、梅田のとあるラグジュアリーホテルに泊まった。室内に入って、さて一段落とパーソナルチェアに座ろうとしたところ、何かひっついているのに気づいた。何だろうと見たら、ソファカバーが破れめくれ上がっていたのだ。ホテルライフの始まりからげんなりして、気分的にはもう終わってしまった。二度とそのホテルに行くことはない。
『「訪問者」としてのホテル』
ホテルに泊まることは即ち、自分の住み慣れた土地から、ある距離をもって離れることを意味する。僕は田辺市に住んでいるが、観光地で有名な隣町の白浜温泉には泊まらない。旅行した気分、もっと言えば訪問者の気分になれないからだ。人間誰しも時に、遠くへ行きたい、異邦人の気分を味わいたくなるものだ。住んでいる所から離れれば離れるほど、漂流者になれるような気がする。自分が何者かを周囲の人が知らない世界に飛び込み身を委ねる、この感覚が心地いいと思えるのは僕だけだろうか。
ホテルにチェックイン後、部屋に入って荷物を置いて、ソファに足を投げ出して、ようやく自分が他所者であることを認識する。そして、ここから今回の旅行が始まるのだと気分が高揚してくる。
最近経験したホテルの印象を書くべく序説を書き始めたら、本論に入る前に目安にしている一千字に到達してしまった。文章を書くのが苦手な僕が、いつも頭を捻りながら悪戦苦闘しながら書いているこのコラムだが、今回は思いの外にたやすくかけた。自分の中で、ホテルについて一家言あったことを再認識した。