院長のコラム

一人前

医者の一人前は?

 映画版「時をかける少女」(原田知世主演)の中で印象的な歌を覚えている。
「桃栗三年、柿八年。柚子は九年でなり下がる。梨の馬鹿めが十八年」
映画ではおそらく、大林宣彦監督作詞のその後が続く。
「愛の実りは、海の底、空のため息、星くずが、
ヒトデと出会って億万年・・・」
この歌を思い出す度に、今度生まれ変わる時はランボーのような漂泊の詩人になりたいと願う。ところで、医師という仕事は、医師免許を取得してから何年経てば一人前と思えるのだろう、と考えたことがある。自身は、人間として社会人として幼稚園年長程度と思っているので、職業人としては幼稚園年少程度なのだろうと思っているが、日本人特有の謙遜をすればキリがないので、あえて客観的に振り返ってみようと思う。

僕は、医学部卒業後すぐに大学院に入学したので、医師として本格的に臨床の現場に立ったのは二十九歳の時である。臨床医として一歩を踏み出した時、自分に約束事をした。自分は内視鏡医になりたい、そのためには消化器全般を知らなければならない。そもそも、自分の医師としての基本的な立ち位置は内科医である。そこから逆算すると、内科認定医を先ず取得してから内科専門医(現内科総合専門医)、その後消化器病、消化器内視鏡の専門医を取得するよう進路を決めた。
学会主導の専門医制度に賛否両論、議論の余地があることは承知しているが、これに替わる専門医制度がない現状では、学会専門医の有無がその医師を評価する一つの目安にならざるを得ない。なぜなら、ある時、医師の人材派遣会社に登録したことがある。そこで要求されたのは、やはり専門医取得の有無であった。履歴として専門医がなければ、面談にも応じてもらえなかったし、もちろん給与にも差があった。残念ながら、博士号は給与にほとんど関係無かった。

臨床医として踏み出して五、六年目くらいに、目標としていた専門医を取得できた。これでようやく、専門分野でスタート地点に立てたような気がした。その後、大学人として三年間勤務した後、地元の病院に世間一般で言うところの課長(消化器科医長)として赴任した。「役職が人を作る」という言葉があるように、自分の責任はもちろんのこと部下の責任までも背負うようになり、また、科としての方向性を自分の責任の下において導くことが出来るようになって、何となく一人前になれたかな、と思えた。医師免許を取得してから十年、専門医を取得して約五年が経過していた。

独立開業した時、社会人として一人前になれた気がした。内視鏡検査件数が年間二千件を超えた時、開業医として一人前になれたように思えた。振り返れば、一人前になったな、と思える時が何度もあった。結婚した時、子供が生まれた時、高級と言われる時計や車を自分で買った時、家を購入した時、数え上げればきりがない。一人前を意識する度に、自分の成長を実感している。
そう考えてふと思った。尾崎豊ではないが、あと何度一人前と思えたら誰もが認める人格者になれるのだろう、と。

こんな父には絶対なりません。
どちらかと言うと、巨人の星の星一徹のような父と、
子供たちは考えているでしょう。

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