一炊の夢
夢のような一日
ホームページから拝借しました。
僕は食に疎い。料理もしなければ食材にもあまり興味がない。旬の食材がいまだに分かっていない。刺し身料理が美味しい地域なのに、白身魚が全く覚えられない。開き直るつもりはないが、自分の体調、食事をする相手、その場の雰囲気によって味は左右されると考えている。相手が喫煙者もしくは側に喫煙者がいれば、どんなに贅沢な食材を使った最高の料理でも最悪になってしまう。頼るべきはその日の自分の舌だけと感じている。とはいえ、札幌の高級ふぐ料理店、東京丸の内のイタリアン、東京銀座の和食、京都嵐山の有名店、有名料理店で修行してきたという地元の料理店等などに行ったが、美味しいと思えなかった。具合が優れなかったのだろうか。かたや、和歌山市のフレンチ、地元のイタリアンと割烹料理には感動さえ覚えたことがあった。味覚が不安定なので、味覚音痴を自負している。食については多くを語らない。というか、語る資格がないと感じている。「美味しい」と心底思える時、同席者に「料理美味しいよな?」相槌を求めるようにしている。
今回のエキシビションのもう一つの目玉は、日本料理「じき宮ざわ」のディナーだった。実を言うと、この展示会に参加するまで宮澤政人氏のことは知らなかった。慌ただしい生活の中で突然に展示会参加を表明したので、事前学習を一切していなかった。京都の有名店のディナーにありつける程度の感覚で、全く期待していなかった。ディナーに参加して驚いた。出される料理の見栄え・盛り付けが華美ではないにも関わらず優雅なのだ。料理が供されるタイミングが絶妙で、適温の料理を味わえた。日本料理らしく出汁の加減が内臓に染み入った。味音痴の僕が心底美味しいと思えた。多数のゲストが日本国中から集まったディナーである。しかも、僕以外はフランク・ミュラーの上顧客と思しき人ばかりである。料理する環境としては相当なレベルを要求されただろうに、時計に負けないくらいの存在感を示していた。美味しい日本料理には冷酒が最適だ、どんどん進んだ。
きのくに線最終の特急に乗るため、午後七時すぎに会場を後にした。スパークリングワインを四杯に、二人で日本酒四合瓶を一本空けただろうか、帰りの道中のことはもちろん、帰宅後のことも全く覚えていない。朝すっきり目覚めて、「昨日は何だか最高の日やったな。何かあったんやろか?」、狐につままれたような錯覚に陥った。まさに、故事「一炊の夢」を体験したような気分である。
あと何度このような機会があるのだろうか、ひょっとして最後かも、と考えると一抹の不安を覚える。機会を逃さぬようアンテナを張り詰めて、人との出逢いを大切に、何よりも健康に留意して頑張ろう、心新たにしている。今回の機会を与えてくれた時計店、時計店の担当者には感謝の気持ちで一杯だ。いつの日かフランク・ミュラーを購入して恩返しができる日が来ることを願うばかりだ。