三番ピッチャー長嶋
夏の高校野球初観戦
長嶋と言えば三番サード、逆に三番サードと言えば長嶋。三番サードと長嶋の関係は、枕詞のようであり常套句でもある。小学生の頃、僕は町内会のソフトボールチームに入っていた。四年生の僕は九番ライトだったので、周囲から「長嶋が九番ライトかよ。」と冷やかされたことが忘れられない。それが故に、長嶋は絶対に三番でサードでなければならない。長嶋という姓を持った自分は、他の誰よりも強くそう思っていた。しかし、今夏、そのイメージがもろくも崩れ落ちた。
次男は全寮制の学校海陽学園の生徒である。先に長男が入学していたが、中学受験に対してほとんど関心がなかった。「海陽へ行ったら勉強も野球も出来るで。」野球が好きだった次男を鼓舞した。内心「入学できても、そのうち勉強が忙しく野球熱も冷めるやろ。」と高をくくっていた。どうにかこうにか入学でき、念願通り野球部に入った。高校進学に当たる前期から後期へ進級する際、多くの部員が大学受験を見越して退部していったが、次男は野球を続けることを誰に相談することもなく選択した。
自分のことをあまり話したがらない次男は、帰省しても筋トレばかりで、寮生活のことはもちろん部活についてもあまり話さなかった。不意に「ピッチャーをするかもしれないので、阪神地区にある有名なトレーナーの所へ行かせて欲しい。」と話す程度だった。
仕事や家庭の都合、何よりも遠方のため、彼の試合を一度も見ることはなかった。けれども、今年は最終学年、彼の六年間の集大成を見届けるため、愛知県知多半島にある阿久比球場に車を走らせた。往復の走行距離や観戦時間を考えて前泊することにした。野球部関係者には誠に申し訳ないが、負けることを前提に祖父母に「最初で最後の観戦なので子供達の面倒をよろしく。」と告げて出発した。
予備知識もなければ次男から何の情報もなく午前十一時に阿久比球場に到着した。もうすでに六年生と思われる在校生がバスで応援に駆けつけていた。以前お世話になったハウスマスターからも「長嶋君、頑張っていますよ。」と声をかけられた。否が応でも気分は高まるばかりである。
球場の入り口で一人六百円を支払い3塁側のスタンドに向かった。保護者と思しき人々がいたが、野球部の支援活動を出来なかった我々夫婦には誰が誰だかさっぱり分からないでいた。すると突然、「長嶋さーん」と声をかけられた。卒業生のお父さんであった。写真に熱心な方で、息子さんが在校時、数々のイベントで写真を撮ってはメーリングリストで我々の目を楽しませてくれた人である。息子さんが卒業したにもかかわらず、野球部の応援と写真撮影に駆けつけてくれたのには驚いた。「今日はどうしたんですか?」の問いに「息子の応援に来ました。」と僕。「そうですか、えーっと長嶋君は・・・」地方紙の参加校一覧をバッグから取り出してきて「三番でピッチャーですね。中心選手ですね。」予想外、いや想定をはるかに越えた返事が返ってきた。
和歌山の地方大会をテレビで見ることがある。一回戦くらいだとピッチャーの出来が試合を左右する。四死球で自滅するか、制球が甘くなって打ち込まれるか。物見遊山の応援のはずが急に不安になってきた。大丈夫だろうか、仲間に迷惑をかけないだろうか、監督・コーチに面倒をかけないだろうか。悲願の初勝利が息子の出来にかかっていると思うと、胸が苦しくなり頭が痛くなってきた。(つづく)