下流顧客
フェラーリに興味を抱いた理由が二つある。一つはローマのエレガントなスタイル、もう一つはフェラーリ流のSUV、その名もプロサングエに興味があったから。2シーターのホンダNSXに懲りた僕は、クルマに非日常性を求めないことにした。ローマは2+2クーペ、イタリア語でサラブレットを意味するプロサングエは、従来のフェラーリとは異なる背の高い4座車。今春ディーラーから、プロサングエが発売されたら購入する意思があるかどうかの案内状が届いた。もちろん、購入意欲があることに署名して返信した。そのプロサングエが、満を持して9月13日に本国、11月8日には日本で発表された。しかし、ディーラーから何の音沙汰もない。ネットで調べたところ、購入希望者があまりに多く、一方生産台数がかなり限られるため、購入出来るのはフェラーリ本社に選ばれた上顧客に限られる。残念ながら自分のような新参者は、ほぼ購入不可能なようだ。
パテック・フィリップのノーチラスは、正規店で定価購入不可能な名実ともに腕時計界を代表するモデルである。今や、ロレックスSSデイトナ購入者が、アクアノートとともに次のステップと考える超人気モデルだ。3年前、運良くパテック・フィリップを購入することが出来た。その際、SSノーチラス予約エントリーをさせてもらった。けれども、今回購入したモデルと合わせて二本くらいじゃ、まだまだエントリー最後尾のようで購入はほぼ絶望的。悲しいことがもう一つ。今冬、2年連続招待された外商イベントの案内状が届かなかった。前もって担当者から、「今年は無理そうです。前年より更に人数を絞って、もっと濃密なイベントにするからだそうです。」との趣旨を伝え聞いていた。購入金額は去年と遜色ないと思っていたが、招待するほうからすれば案内するに値しなかったようだ。百貨店からも見捨てられた。
浜田省吾の「MONEY」の一節「いつかこの手に つかむぜBIG MONEY」のような野心はコレッポチもなかった。贅沢な暮らしを夢見て働いてきたわけでもない。「開業医として内視鏡医として自分の描いた医療を提供する」をモットーに日々医療に従事してきただけ。あれから十五年、夢にさえ見なかった世界にいつの間にか辿りつくことが出来た。けれど、到達した先には、さらに上があることも理解した。頂上にもさらなるピラミッドが形成され、自分が最終地点と思い込んでいたのは、次の段階への扉に過ぎなかった。ここまで全力で頑張り続けてきたつもりだが、プロサングエもノーチラスももはや購入することは悲観的だ。「もっと頑張らなければ!」と思う一方、「もう頑張れない、もういいや」と投げやりにもなった。
そんなジレンマの中、どういう訳か四文字の言葉「下流顧客」がふと浮かんだ。フェラーリしかりパテック・フィリップしかり、末席ながらオーナーであることに違いない。「顧客だけれどもレベルが下に過ぎないだけだ。」そう考えたら、可笑しげな雑念や奇妙なプライドは雲散霧消した。「どうせ下流だから、それなりに振る舞えばいいじゃん。」凝り固まった肩がストンと落ちた。先日、ローマのリコールにディーラーから電話が入った。該当車が多く、整備の順番はまだ未定との内容だった。「(僕のような)下流顧客は一番後で大丈夫ですよ。先ずは上流客を優先してくださいよ。」と返答した電話の向こう側の声は「そんなことありませんよ。」と言いながら引きつっていた。顧客という自尊心と下流という謙遜を合わせた下流顧客、我ながら絶妙な言葉を浮かべたものだ。