院長のコラム

両親の仇討ちだぁ!(長嶋、本を出すってよ!(後編))

僕の人生はある意味、両親の仇討ちやリベンジと言っても過言ではない。父が開業したのは三十三歳。以来、夫婦二人三脚で医院経営に奔走した。入院施設増設とその後の医療法人化。多角化経営の一環で、薬局とサーティワン・アイスクリームの経営にも乗り出した。加えて、母は趣味人で、三味線やお茶、日本舞踊など業務が終わった後も多忙を極めた。だからか一家団欒の記憶に乏しい。家族旅行の思い出もほとんどない。むしろ、母の発病前後の暗澹とした記憶の方が鮮明。母の死後、多角化経営は収束し、母無き父子の家族物語に。それも長くは続かなかった。それゆえ、「両親が出来なかったことをする!」が僕のモットーに。「たった一度の人生を楽しむ。人生を後悔しないこと。」、このコラムを読んでいただければ理解してもらえると思う。

前述のごとく母は多彩な才能の持ち主。父は読書家で勉強家。日々のことを何十冊ものノートに書き留めていた。父の死後、その言説は日の目を見ることはなかった。子供が言うのもおこがましいけれど、二人とも教養のある立派な人だった。母が亡くなって四十年、父が亡くなって二十六年、その存在を覚えている人はどんどんいなくなっている。教養も才能もなく、成り行き上惰性で院長コラムを継続していただけの僕に出版話なんて何たる因果か。両親がこの世に確かにいたことを明らかにし、彼らの無念さを晴らし、子供達に伝えてこなかったファミリーヒストリーを記録し保存する。自分のため家族のためにも出版を覚悟した。

今回決意をしたもう一つの理由は、依頼主が幻冬舎だったから。もっと言えば
幻冬舎メディアコンサルティング。その単語を検索すると関連キーワードに、「やばい」とか「パワハラ」なんて言葉も出てきて、ぼったくられ騙されるかもしれない。しかし、同じ自費出版で欺かれるなら幻冬舎が本望。尾崎豊に触発された高校生の僕が読んでいたのは「月刊カドカワ」。文芸誌と思いきや表紙からして音楽雑誌。そこには通常メディアでは見られない尾崎がいて、特集も雑誌としては型破り、内容もアウトロー的な雰囲気を醸し出していた。その時の編集長が見城徹氏。編集長の意向や信念を前面に打ち出した誌面作りに感銘を受け、氏の名前は初めて「編集者」として記憶に残った。その後、見城氏は幻冬舎を設立し、数々のベストセラーを生み出したのは周知の如く。現在は第一線を退いたとは言え、創業者の理念や哲学は会社の風土として根付いているに違いない。老眼により、最近は読書する機会が無く存じ上げていなかったが、編集者&You Tuber&実業家でもある箕輪厚介氏も在籍しているらしい。金目当てとは言え、こんな面白い会社に声をかけていただいたのも何かの御縁。(つづく)

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