院長のコラム

今生の別れに思う


僕には両親がいない。妻の義父母はまだまだ健在であり、多方面にわたり支援協力をいただいている。また、義父母同様、何かと気遣いしていただけるご夫妻がいた。僕の弟の奥さんのご両親で、ご主人は病院の副院長をされていた。その先生が、十二月七日未明に亡くなられた。病状は伝え聞いていたが、訃報を聞いた瞬間、慙愧の念にかられた。

今年三月、そのご夫婦と娘婿の一家を交えて次男の合格祝いをしてもらった。めでたい席に美味しいふぐ料理と言えば、ひれ酒もどんどん進んでしまう。酒席での政治と宗教の話はタブーである。なぜ、そんな流れに突如としてなったのかわからない。先生が「安倍首相はアカン。」と言い出した。連日、マスゴミが森友・加計学園問題を報道していた時期である。安倍憎しとばかりに本質とかけ離れた論調を繰り返すマスゴミ報道に辟易していた僕は、「先生みたいなインテリがマスゴミの論調に乗るなんて。安倍さんは結構頑張っていますよ。アカンアカンと言うのなら、先生、安倍さんの代わりは誰がいいのですか?」思わず噛み付いてしまった。そこからは泥沼状態である。いつしか、政治の話から人生哲学論に変わってしまった。「先生、それは理想主義で、ある意味共産主義的発想です。現実は全く違います。」と僕は食ってかかってしまった。楽しいはずの酒席が、一気に興ざめしてしまった。よく知る間柄なので、皆になだめられてその場は収まったが、せっかくお祝いしてもらっているにも関わらず、自分の主義主張を酒席で展開したことに自責の念にかられた。後日、次男が銀髪に染めて入学式に出席し、さらに耳にピアスまで開けた。おそらく、次男の僕に対する細やかな抵抗なのだろう。

その後、開放病棟の往診に行った際、先生とお会いする機会が何度かあった。いつものように笑顔で接してくれるとはいえ、三月の出来事が僕には後ろめたかった。いつか食事に行ってお詫びしたい、会う度に思った。「思っても行動を起こさなければ思わないのと同じ」、今回の件は痛恨の極みである。お盆を過ぎた頃から少し体調がすぐれないことを聞いていた。今年のこの暑さである、「また涼しくなったらお誘いしよう。」と連絡を控えた。秋になって、以前なされた手術の影響で通過障害気味なので手術することを聞かされた。とはいえ重篤なようではなかったので、「退院したら快気祝いをしよう。」くらいに考えていた。入院して手術したことを聞かされた。「お見舞いに行きたいんだけど。」と弟に伝えたところ、「年齢的なことや体力的なことがあって術後、あんまり状態がよくないんよ。」深刻な表情を見て、ようやく事の重大さに気づいた。

十二月七日夕刻、診療を終えて先生のご自宅に駆けつけた。亡骸を見て絶句した。あのふくよかな面影はどこにもなかった。やせ細り歯茎がむき出しになった姿が闘病生活のすべてを物語っていた。言葉も涙も出なかった。茫然自失とはまさにこのことを言うのだろう。何も感情が湧いてこないのだ。しばらくして、「先生、ごめんなさい。」という言葉が込み上げてきて、ようやく奥様に声をかけることが出来た。翌日から通夜、葬儀と可能な限り参列させていただいた。葬儀が終わってもう一週間経ったが、通夜以降、僕には釈然としないものが残り、心に突き刺さった棘は抜けないままでいる。どうして、なぜ、謝ることが出来なかったのか、今も自問自答している。奥様にその旨伝えたところ、「そんなことありましたっけ?、それはそれで楽しい食事会でしたよ。」という言葉に救いを求めている。

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