会費制の祝賀会
北海道に七年間住んでいた。北海道での生活は、自分の人生において大変貴重な経験をもたらしてくれた。その一つが結婚式である。内地(北海道の人は本州のことをそう呼ぶ)のそれとは異なり会費制が当たり前だった。招待者一律金額なので、いくら包むか全く心配する必要がなかった。かたや地元は招待制である。交通費や宿泊費、新郎新婦との関係を鑑みてご祝儀を出さなければならない。同じように招待された方との兼ね合いもある。何かと面倒である。「北海道特有のおおらかさが祝賀会での会費制を育んでいるのか、合理的だ。」妙に感心したのを覚えている。
三月十八日の祝賀会は五千円の会費制にさせていただいた。より多くの方に気軽に参加してもらいたいと思ったからだ。これが功を奏したのか、三連休初日の午後とは言え、招待者、僕の家族、スタッフ合わせて百二十名以上の会になった。会費を貰う以上、満足していただけるよう趣向を凝らした。ホテルのお酒は品数が限られている。日頃からお世話になっている「酒のダイナミック」にお願いして、十種類のワイン、厳選された焼酎それに日本酒を何本か用意してらった。時間帯も考慮してワインに合う軽食の献立をホテルにお願いした。
午後三時に幕が切って落とされた。僕の会の趣旨説明から始まり、開院祝いの時にも駆けつけてくれた真砂市長、恩師である中北クリニック院長二人から祝辞をいただき、水本医師会長の乾杯の挨拶で祝宴が始まった。間延びしないよう凡そ二十分間隔でタイムスケジュールを組んだ。一つ目の催し物は僕のプレゼンである。十年の歩みをスライドにして説明した。決して平坦な道のりではなかったこと、連綿と続く家族の物語であることを話した。思いの外好評で、何人もの方からお褒めの言葉をいただいた。しばし歓談の後、二つ目のイベントはアロエルートのライブである。相方の松本君は僕のギターの師匠なのでお願いした。四月にはファーストアルバムの発売を予定しているのでキャンペーンの意味もあった。三十分程度のライブだったが、これまた大好評で隣に座っていた市長がいたく感激していたのが印象的だった。二人の司会者の進行が絶妙で時間通りに進んだ。しかも、静動を完璧にコントロールしてくれた。祝宴の時は、席を離れての歓談や名刺交換があちこちであり会場全体が騒然としていた。一方、催し物の時は誰一人喋ること無くしっかり聞いてくれた。
約三時間近い祝賀会は、僕の謝辞、スタッフ紹介、それに超ベタだが小田和正さんの「言葉にできない」の合唱で終了した。ホストとして、ゆっくり食事をすること無く、お酒を注いで注がれてかつ緊張も相当あったのだろう、七時に帰宅するやいなや着物を即座に脱いで床についた。開催するまでは、正直なところ大袈裟過ぎて気恥ずかしかった。けれども、疲労とアルコールによる酩酊状態の中で、「やってよかった、本当に良かった。」心底思えた。「様々な事に対して、けりをつけることが出来た。」とも感じた。次の十年後、父親が亡くなった五十九歳が鬼門である。その日を迎えられるよう健康管理に留意するとともに、その日に備えて盤石な組織づくりをしなければならない、心を新たにした貴重な一日である。