俺ら東京さ行ぐだ(前編)
昨年のちょうど今頃、田辺高校南紀田辺会(いわゆる同窓会東京事務局)会長山形さんから原稿依頼を賜わりました。と言うのも、御縁というか運命というか、はたまた貧乏くじというか日頃の行いのせいか、昨年から田辺高校同窓会会長を務めることになったからです。卒業したと言うだけで母校に何も貢献していない若輩者。しかも、COVID-19が猛威を奮っている時期にちょうど重なりました。変革を余儀なくされる世界で、未経験者が伝統ある母校にどうやってコミット出来るか、不安で一杯でした。同期や後輩からの支援を取り付け、どうにかこうにか「お飾り会長」に推挙されました。〜以下原文〜
今年度から田辺高校同窓会会長を拝命することになりました三十七期生の長嶋雄一と申します。現在、田辺市下三栖で診療所と介護施設を運営しています。下衆な話をすれば、3年前、紀州のドンファンの知人として全国放送で顔を晒してしまいました。3年も経てば自殺・事故と思っていた矢先、突然の容疑者逮捕、この地もにわかに慌ただしくなってきています。前置きはさておき、この度、南紀田辺会山形会長から同窓会報への寄稿を依頼されました。何を書こうか思案した末、自己紹介かねがね当地の現状報告をさせていただくことにします。
私は、第二次ベビーブーム直前の昭和41年丙午(ひのえうま)に生まれました。若い方はピンとこないかもしれませんが、この年に生まれた女性は気性が激しすぎて夫を不幸にするという迷信があったようで、出生数が極端に減った年であります。私は第三小学校・明洋中学から田辺高校に進みました。当時、小学校は4、中学は6組、高校は8クラスと前後の学年よりも2クラス少ない学年でした。しかし、今や、第三小学校は各学年1もしくは2学級しかありません。現在、この地域で生徒数の多い小学校ベストファイブは、会津、三栖、第二、東部、芳養小学校です。明洋中学も2もしく3学級で、生徒数が多い中学校ベストファイブは、高雄、東陽、明洋、田辺中学、衣笠中学校です。我々の時代とは随分様変わりしました。かくいう田辺高校も、かつては1学年12クラスあった時代もあったようですが、現在は7クラスのようです。我が国の出生数の低下はもちろん、田辺市から都市部への人口流出、東日本大震災以降の市街地から周辺地域への移動が拍車をかけたようです。紀南病院と消防署は新庄町の高台に移転し、今後、市役所も東山のオークワ跡地の高台に移転する予定になっています。中心部のかつての賑わいは正直なところ見る影もありません。