俺ら東京さ行ぐだ(後編)
(前回からのつづき)
話は戻って、私は北海道札幌市に生まれました。何故と思われるかもしれませんが、山形県出身で北海道大学卒業の医師である父が、北海道・東京と好条件を求めて辿り着いたのがこの紀南の地だったようです。生前、父は、温暖で風光明媚な地を終の棲家にしたことを、常々感慨深く語っていました。私は倉敷にある川崎医科大学を卒業した後、鮭が生まれた川に戻るように旭川医科大学大学院に進みました。その後、北海道内、東京、そして倉敷と各地を転々とし、三十七の歳に帰郷しました。理由は三つあります。一つは、豪雪地帯出身の両親が眠るこの歴史ある地で医療貢献したいと願ったからです。二つ目は、妻が高校の同級生でこの地が二人の故郷であり、ある意味安住の地でもあったからです(ちなみに、我が三十七期で同級生婚は三組いました)。三つ目は、日本各地を転々としてみて、「田辺はとにかく食べ物が美味しい!」ということです。田辺は、海の幸、山の幸の宝庫です。特に旬のモチ鰹は最高で、私は薄切りのニンニクに醤油を合わせて食べています。残念ながら、近年は気候温暖化と黒潮の大蛇行の影響か、食する機会が以前よりも大分減ってきています。
さて、現在はまさに新型コロナ禍の真っ最中にあります。吉幾三の「俺ら東京さ行ぐだ」ではありませんが、♪は〜卒業式も無エ 入学式も無エ 味光路もそれほど人がい無エ 田辺祭も無エ (2020の)オリンピックも無エ 会長仕事はガーラガラ♪といった感じで、すべての行事が自粛・縮小・延期・中止に追い込まれています。私の心境は、御役御免で安堵半分、「何もしなかったでくのぼう同窓会長」とレッテルを貼られるのではという危機感半分であります。令和三年に執り行われる残された最大の行事は、この秋に予定されている南紀田辺会への出席であります。まだまだ予断を許さない状況ではありますが、COVID-19が一刻も早く収束すること、ワクチン接種が国民に行き渡ることを祈るばかりです。このような未曾有の状況の中、南紀田辺会の皆様におかれましては、くれぐれもご自愛くださいませ。それでは、♪あなたとわたしの合言葉 「麹町で逢いましょう♪(おわり)
1年経って、すべては思い通りになっていません。平日の行事は仕事上参加困難、大規模な学校行事は相次いで縮小・中止となり、会長の役割は未だ何一つ果たせていません。南紀田辺会への参加も、新型コロナ第五波によりあえなく中止。ここまで来ればコロナ禍を理由に、歴代会長で一番役割を果たせなかった「名ばかり会長」として許容されるのでは、と最近半ば自嘲気味になっています。