僕とユーミン
ここ数回、僕にとって反日思想家としか映らない京都精華大学専任講師の暴言によって、書く内容が少し過激になったように感じている。安倍元首相を評価はしているが、あくまでも歴代首相と比較した相対的なものであり絶対的なものでなない。ただし、確信を持って言えることがある。民主党政権時代の鳩山、菅両首相は史上最低最悪だったと。野田さんは、自民党に政権を移譲した点でまだましである。僕自身は、保守的でもあり革新的でもあると考えている。思考は保守的かもしれないが、それなら美術館のようなクリニックを建て、ロン毛で私服の診察なんて誰がするだろうか。強いて言うなら、現実的な理想主義者である。左翼的思考は相容れないが、否定するつもりもない。ただ白井某の分別のない弁えのない発言がどうしても許せなかった。
いつものように前置きが長くなった。以前のコラムで、白井講師が「私は、ユーミン、特に荒井由実時代の音楽はかなり好きです(あるいは、でした)。」と発言したことについて、僕は嘘と断じた。その中で自身のユーミン愛をほのめかしたが、「大学講師を陥れたいがために、あんたこそ、なんちゃってユーミンファンを偽っているんとちゃうか?」とツッコミが入りそうなので、いい機会である、自身のかつてのユーミンの思い出を記すことにする。
こんな僕にも青春時代はあった。もちろん、こんな僕でも、かつてアイドルに熱狂した。その一人が薬師丸ひろ子だった。ユーミンとの最初の繋がりは、彼女主演の映画「ねらわれた学園」の主題歌「守ってあげたい」。飛ぶ鳥を落とす勢いのアイドル、大林宣彦監督の斬新な映像、そしてユーミンの曲。中坊にとってはすべてが新鮮で斬新だった。自転車を走らせ貸しレコード屋に行き、手に取った自身初のユーミンアルバムは「昨晩お会いしましょう」である。この八十一年に発売されたアルバムから僕が医師になる前の九十年に発売された「天国のドア」までの約十年間、いつもユーミンのアルバムが側にあった。とはいえ、ど真ん中、メインストリームにはなかった。行き詰まった時、孤独に耐えられなくなった時、秋の気配を意識した時、切なくなった時、亡き母を思い出した時、ふと永遠を感じた時、なぜかユーミンがあった。
ジレンマ、不完全燃焼、悶々、夢と現実、何もかもがうまく行かない、それが僕の高校時代である。アルバム「昨晩お会いしましょう」「REINCARNATION」「VOYAGER」「NO SIDE」は何度も聞いた。挫折をひきずったまま、しかも想定外の医大に入学した。傷心を断ち切るべく、「NO SIDE」に触発されラグビー部に入部した。人一倍自尊心が強く、プライドが高く、人と群れることを良しとしない人間が、「ONE TEAM」であるはずの団体競技に入部して、どれだけ他の部員に迷惑をかけたか今でも慚愧に堪えない。一年生の秋には母が亡くなった。通夜・葬儀と続く一連の儀式の中、ふと見上げた空が宇宙に繋がるかと思えるくらい深く透き通ったブルーだった。という訳でもないが、その当時良く聞いていたのは、アルバム「悲しいほどお天気」である。(次回へ)