院長のコラム

僕のココロのユーミンベスト3

僕のダークサイドな心象風景を描いてくれていたのがユーミンであった。方や、僕の大学生時代はバブル絶頂期である。映画「私をスキーに連れてって」を始めとする映画音楽やテレビドラマの主題歌、数多のCMソング等のタイアップソングがテレビや街に溢れていた。ユーミン本人がそれを望んだかどうか分からないが、「ラブソングの女王」「恋愛の教祖」ともてはやされ、バブル経済と絶妙にリンクしシンクロしていたのも事実である。これまで自分が聞いてきた曲との違和感、時代の寵児となったユーミンに対する反抗心を抱きつつ、当時遠距離恋愛をしていた僕には、「シンデレラ・エクスプレス」「青春のリグレット」「リフレインが叫んでる」「ANNIVERSARY」など思い出深い印象的な曲も数々あった。

こんな僕も、社会人になる時がいよいよ来た。実臨床の忙しさに加えて弛みない勉強、生きていくためのアルバイト、そして大人の付き合い、じっくり音楽を聞く機会はなくなった。ちょうどその頃、奇しくもバブル経済に暗雲が立ち込めてきていた。僕の印象では、九十年代はカラオケ音楽が全盛だったように覚えている。ユーミンと変わるように小室哲哉が台頭していた。いつの日か、僕の生活からユーミンがなくなっていた。その後も、二千年代からの約二十年は、結婚・度重なる転勤・子育て・受験、自身の独立等公私に渡り、何かと忙しくゆっくり音楽を聴くことはなかった。独立後の仕事は思いもかけず順調だったが、最懸案かつ最重要事項だった子育てが一段落したのはようやく昨年のことである。この間、音楽環境は激変した。レコードとカセットテープ、MDやCD、ウォークマンからi-pod、今や携帯電話やスマートスピーカーである。「アレクサ、」「Hey Siri、」と声をかければ、好きな曲をいつでも聴くことができる時代になった。近頃、昔を懐かしみ慈しむかのようにユーミンをよく聴いている。「偉大な知性のまま夭折すべきだったね。本当に、醜態をさらすより、早く死んだほうがいいと思いますよ、ご本人の名誉のために。」こんなことを宣う輩が出てきた現在、今だからこそマイユーミンベスト3を敢えて挙げてみようと思った。

「ジャコビニ彗星の夜」
母が亡くなる前後によく聴いていたアルバム「悲しいほどお天気」の一番目の曲である。当時は大学の方針で寮生活を送っていた。母の病状が一向に良くならない不安感、大勢で暮らしているにも関わらず抱く孤独感。この曲を聞く度、あの日の切ない思い出が蘇ってくる。
「72年10月9日 あなたの電話が少ないことに慣れてく
私はひとりぼんやり待った 遠く横切る流星群」
この歌詞の一節が妙に心にじんと来る。

「A HAPPY NEW YEAR」
アルバム「昨晩お会いしましょう」のラストを飾る曲である。アルバム自体も、最もよく聴いたアルバムの一つである。ピアノのイントロから始まるこの曲は、いつ聴いても敬虔で神妙な気分になる。
「今年も最初に会う人が あなたであるように はやくはやく」
「今年も沢山いいことが あなたにあるように いつもいつも」
「こうしてもうひとつ年をとり あなたを愛したい ずっとずっと」
この歌詞が流れてくると自他愛を意識する。

「NIGHT WALKER」
アルバム「REINCARNATION」の三番目の曲である。大学受験の時よく聴いていたアルバムである。このアルバムの印象と言えば、受験勉強と明け方の光景である。実は、このアルバムもこの曲も記憶から全く失せていた。数年前たまたまyou tubeを見ていて再会した。「何ていう曲だったっけ?」、曲名すら覚えていなかった。以来、数あるユーミンの名曲の中でも僕の心のユーミンベスト3に入った。
「私を置いてゆくのならせめて みんな持ち去って あなたが運んでくれた全てを
ペイヴメントは夜更けの通り雨 人もネオンも 蒼い蒼い河を流れてゆく」
まさにREINCARNATION、僕のDNAに刻み込まれていたとしか考えられない曲である。

恥ずかしいくらいノー天気な文章を書いた。私の人生の歩みの一端には、いつもこんな素敵な音楽があった。沢山の曲に勇気づけられ支えられ、現在の僕が今ここにいる。「醜態をさらすより、早く死んだほうがいいと思いますよ。ご本人の名誉のために」、知性がなければ早く死ぬ勇気もない凡人がこうして生きていられるのも、ある意味ユーミンのお陰である。感謝の言葉しかない。

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