僕の心の原風景
死というものを初めて意識した日
流れる雲を見ていると、さびしくなることがあります。
刻々と流れていき、形を変えていく姿に、
輪廻転生を思うことがあります。
坂田整形外科の坂田仁彦先生が急逝された、享年五十八歳とのこと。先生とは親交があるといえる程の付き合いではなかったが、会席で会った際は何やかや話し、豪快だが繊細な整形外科医という印象であった。本人の無念さはもちろん、残された家族のことを思うと胸が痛くなる。ただただご冥福を祈るばかりである。
職業自体が生き死に関わる仕事である。しかし、恥ずかしい話ではあるが、自分なりの確固たる死生観を持っているか、と問われれば甚だ疑問である。正直、怖いからなるべく考えないようにしている。
まだ小さい子供がいるので、寝る時はベッドに一人で寝ている。時々夜中にふと目が覚めことがある。そんな時、必ずといっていいほど脳裏をよぎるのが、「死んだらどうなるのだろう?今はこうして目が覚めたけど、この無意識が永遠も続くとはどういうことなのか?」という何とも言えない不安感である。暗い闇のとばりの中で独りぼっちこんなことを考えると、居ても立ってもいられなくなり叫びたくなる。しかし、夜中に叫ぶと周りに迷惑をかけるかな、と妙に冷静な自分もいて、しばらく悶々とした時間を過ごす。そのうちに再度睡魔に襲われて朝を迎えることがある。こういう日は朝からすっきりせず、1日が何とも言えず重い。
この得体の知れない怪物の存在を意識したのは4歳くらいの時だったと思う。
その時、我が家は村の職員住宅に住んでいた。その時の光景は今も鮮明に憶えている。ある日、いつものように母親とお風呂に入っていた。コンクリートの床に木製の浴槽、もくもくと湯気が立っていたが寒くはなかったので晩秋くらいの時期である。黄色く鈍く光るランプの薄暗い風呂場で、イメージとしてはセピア色である。なぜそのような会話になったのだろう、もしかしたら突然切り出したのかもしれない。「お母さん死んだらどうする?」、その言葉が僕の胸にえぐられるように突き刺さった。悲しくて悲しくてわんわん泣いた。あまりに泣き過ぎて気持ち悪くなり、今度はげーげー生唾を吐いた。
これが僕の死に対する原風景である。これ以降中学生くらいまで、なぜか日曜日の「サザエさん」を見終えると、あるいは家族団欒でにぎわっている時など、ふいに「死」という観念が頭を過りこの風景が思い出された。
死や自分がそのような時を迎えた時のことをいくら考えても結論が出ない。「へたな考え休むに似たり」、そこに踏みとどまっても何も解決はしない。今の自分のモットーは、「今を生きる、生き抜く、ありのままにあるがままに」である。例えそれが死を迎える直前でもぎりぎりまで生き抜く、そして最後に「ありがとう、それではまた」と言えることができれば・・・。
当クリニックから見えたある日の雲です。
行雲流水、ぼーっと川の流れを見ていても、
もちろん行く雲を見ていても、諸行無常をつい考えてしまいます。