僭越ながら
奇をてらう訳ではないが、僕は偽善者だと自負している。父親同様、内視鏡医として地域医療に貢献したいという想いは誰よりも強いと思っている。とはいえ、進歩し続ける医学に「もうこの歳なので少し距離を置いてもいいかな。」と諦念している自分がいる。そのくせ、物欲が全く衰えないカオナシ(千と千尋の神隠しのキャラクター)のような自分もいる。確固たる信念を持って生きている訳ではなく、時代や状況という波にもまれながら日々葛藤し続けている。
僕が川崎医科大学に入学した当時、関連施設である社会福祉法人「旭川荘」での実習が組み込まれていた。実習内容は、障害者施設の見学および実習支援だったように覚えている。実習の最後に各人感想を述べ質問するのだが、単細胞な僕は率直に「障害者に対して、どうしても憐れみと同情の念を持ってしまう。接することに抵抗がある。どうすれば普通に接することが出来ますか?」と問うた。質問をした自分のことは鮮明に覚えているが、応えは全く覚えていない。おそらく模範的な解答が返ってきたに違いない。以来、病人と日々接することはあっても、障害者と接することはほぼなかった。ある意味最重要課題に対して、答えを先延ばしにしていた。あれから約十数年、ふと腑に落ちる言葉を見出した。「しない膳よりする偽善」である。崇高な理念を持たず人間性が劣る僕は、ボランティア活動や慈善活動に対してずっと身構えていた。この言葉を知って気が楽になった。
開業して数年後、諸事情により医師会を退会することになった。それまで、医師賠償責任保険を含めて年間五十万円弱の医師会費を支払っていた。新たに個人で十数万円の賠償責任保険に入る必要性はあったが、医師会費を支払わずに済む。さて、浮いたお金をどうするか思案した。子供会や小学校行事等で我が家の子供たちは地域に大変お世話になった。ちょうどその頃、三男の障害の程度が重度であることも判明していた。それなら子供に関連することに役立てればと思い立ち、田辺市教育委員会に年間五十万円、十年間寄付することを田辺市に申し出た。当初、使い途に苦心していたようだが、数年経ってからは、主に養護学級でのi-pad購入に当てられていたようである。知人の教諭から、普通学級に馴染めていない子供達に特に役立っていることを聞かされ、ほくそ笑んだ。
あれから、もう十年が経った。十月六日、真砂充敏田辺市長から感謝状が贈られることになった。感謝状をもらうような人徳はなく気恥ずかしかったが、一つの節目、けじめとしていただくことにした。あれから十年、何の因果か、地域にお世話になった子供たち三人は医学の道を志すことになった。障害のある三男は、それなりに成長している。内視鏡クリニックを標榜していた僕も、いつしか福祉介護事業へと取り組むようになっていた。「どうすれば、(障害者と)普通に接することが出来ますか?」、「そんなに身構えることないよ。何も考えなくていい、普通にしていれば。」と今なら若かりし頃の僕に言える。今回の寄付の表彰に対して、「先生、立派ですね。」とお褒めの言葉を何人かから頂戴した。「(僕は)偽善者ですから。」と応えるようにしている。「しない膳よりする偽善」の言葉が天の邪鬼な僕には響く。