再び、新建築に
「新建築」は、1925年の創業以来、国内の新たな建築作品の紹介を中心に、環境、都市、建物のリニューアル、コンバージョンなど、建築会が直面している様々なトピックスを独自の視点で編集した建築総合専門誌である(ホームページから引用)。この雑誌に掲載されてようやく建築物として評価に値するかどうか俎上に乗る、と言われる斯界で最も権威ある雑誌だ。かく言う私も、2007年7月号で、建築家の千葉学さんとの対談という形で、クリニックとともに取り上げられた。あれから15年、サービス付き高齢者賃貸住宅「ポータラカ」とカノンデイサービスが本年4月号に再び掲載されることになった。ついては、新建築社から施主としてのコメントを求められた。僕はもちろん建築家ではない。しかし、建築家を通して自分の想いを伝えることは出来る。「建築にお金をかけるなんて、」と外野からああだこうだ言われたものだが、クリニック、介護事業所ともに新建築に掲載されたということは、すなわち、僕の取り組みが間違っていなかった証左だと自負している。
(以下、新建築寄稿文)
日本人の平均寿命は延びている。しかし、健康寿命ともなれば平均寿命より10年程度短くなり,この不健康期間には医療と介護支援が必須になる。「人生100年時代」という言葉が提唱されて久しいが,資産形成や健康維持の面で説かれることが多く、介護を要する期間いかに過ごし,終の棲家をどうするかという現実的かつ切実な問題に焦点が当てられることはほとんどない。
四十を手前に独立を決意した。不本意ながら、父から譲り受けた周囲に梅畑しかない広大な資材置き場の片隅にクリニックを建てざるを得なかった。以来、雑草の生い茂った荒れ地の活用方法を思案し続けた。この文脈でたどり着いたのは、介護事業所および施設の設立であった。それはすなわち、「自らにもいずれ訪れるその時のために」でもあった。クリニック設計時に感じたのと同様、多くの介護施設も画一的・合理的・事務的に建てられ、利用者の存在や意向は二の次だった。玄関を入るとすぐに分かる独特の臭いや陰鬱な雰囲気がそれを物語っていた。今回、設計時に千葉学さんにお願いしたことはたったひとつ、「自身の終の棲家」である。自身とは、私であり千葉さんをも意味した。昨年夏には、手狭になった施設内に併設していたデイサービスを外部に増設し、千坪弱の土地は、クリニック、門前薬局、サービス付き高齢者住宅の四棟が出揃い完成形を迎えた。建築時期も目的も全く異なる個性ある建物が、見事なまでに調和し一体感を示す様相は、千葉さんのコモン・センスによるものと感心している。
クリニックからデイサービス完成に至る14年という長い月日は、自身の成長の歩みでもあった。この間に、医師としての在り方や哲学がより一層明確化された。とともに、地域医療への貢献方法が確固たるものになった。ある晴れた日の夕刻、出来上がった敷地内の真ん中に一人佇んだ時、素人なりに建築の本質を感じたような気がした。と同時に、透き通る蒼い空を見上げながら千葉さんとの出会いに感謝の祈りを捧げた。