院長のコラム

初の日本武道館は清水ミチコ(きっかけ編)

1964年の東京オリンピックで柔道競技会場として建設された日本武道館。以来柔道だけでなく、相撲、剣道、少林寺拳法など数多くの武道大会が開催され「武道の殿堂」の名をほしいままにしていた。ところが1966年、イギリスから来た4人組の若者によって「音楽の殿堂」へと変貌した。言わずもがな、4人組の若者とはビートルズ。今でこそドームやアリーナツアー等大規模なツアーが一流ミュージシャンの到達点だが、80年代当時は、一万人収容できる日本武道館でのコンサート開催は、自他ともに認めるステイタスがあった。日本語ロックの勃興期を青春時代に体験してきた僕にとっても、日本武道館は憧れの聖地だった。浜田省吾、佐野元春、はてさて誰になるのだろうと思っていたら、何と初の日本武道館は1月3日の清水ミチコに。

これには布石がある。何かの拍子か、youtubeを見ていたら清水ミチコの「百万円の札の束を」というサムネイルが出てきた。その少し前に山口県阿武町で起きた特別給付金4630万円の誤振込事件を、加藤登紀子の「百万本のバラ」に載せてパロディにした曲。あまりのセンスの良さに感心するとともに、涙が出るくらい笑ってしまった。以来、シミチコチャンネルを酒のアテに楽しんでいた。縁とは不思議なもので、時を同じくしてチケットぴあから清水ミチコ全国ツアーの案内が届いた。関西は11月23日勤労感謝の日(昨年)の大阪フェスティバルホール、迷うことなく抽選に応募し3枚をゲット。大阪フェスティバルホールと言えば、その音響設備から世界を代表する「音楽の殿堂」。清水ミチコとフェスティバルホールのギャップに違和感を抱えつつ、夫婦と長女3人で行ってきた。

当選した席は十数列と比較的前の中央席、後ろの状況は掴めなかったけれどほぼ満員の様相。数列前の男性お一人様が、「この人サクラ?」と思うくらい清水さんの一声・一挙手一投足に「ギャハハハ!」と大爆笑するから、ワンテンポ遅れて周囲もツラレて爆笑。これがなくても2時間ちょっとのコンサートは、ミュージシャンのものと遜色なく楽しめた。いやむしろ、満足度は清水さんの方が高いかも。通常のコンサートの場合、オープニングでボルテージを上げ、盛り上がったところで一旦小休止、そしてアンコールに向けてクライマックスへ。けれども、清水さんのコンサートは首尾一貫笑いのみ。しかも、有り難いことに終始座ったままお気軽にお気楽に笑っていられる。日常生活において、2時間も笑い続けることなんてないから、まさに「笑う門には福が来る」、気分的にシアワセになれたし、幸せが来るような気持ちになった。

コンサート中、毎年恒例の新春武道館コンサートがあること、2024年は10回目のメモリアルになることを知らされた。帰宅後、「東京に行ってみる?」と妻に問うても生半可な返答。娘に至っては、「世代が違うから分からんとこ多かった。」と無理のサイン。そうこうするうちに第◯次の日本武道館の案内がぴあから届いた。元々東京へ清水ミチコを聴きに行くという発想がなかったから最終盤に近い案内だった。「家族4人分を申し込んでみて、当たればそこで考えるか。」ダメ元のつもりで応募したら当選してしまった。

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