初めての親孝行~両親から学んだこと~
モノ選びの基準
ある意味記念日のレザージャケットです。
ヨウジヤマモト社が会社更生法を申請した時期のモノです。
このような凝ったモノは2度と作れないかも。
「親孝行、したい時に親はなし」、まさにその通りである。母親と別れてから20年以上、父がこの世を去ってからもう10年になる。母親が亡くなった時はまだ大学生だったので、親孝行といえるほどのものは出来なかった。父親には大学院卒業まで何らかの援助をしてもらい、その後自立はしたものの収入に格段の差があるので、自分自身が納得出来るできるほどの親孝行は出来なかった。もし、強いて言えるなら孫の顔を見せる事が出来たくらいである。今の自分の有り様を見たら二人とも何と言うだろうか。
両親はまだまだ開業医が多くない時代、開業医に対して税金が優遇されていた時代、ましてや内視鏡検査が一般的ではない時代に開業をした。オンリーワン状態なので患者さんが多く、スタッフもピーク時には20人以上いただろうか、子供ながらに忙しい診療所だということは理解していた。
母親は趣味人だったので、茶道・お花・三味線などを習っていた。購入していた着物や茶器はおそらく高価なものであったろう。もちろん指輪やネックレス、毛皮も持っていた。しかし、亡くなった時にはその価値を分かる者が誰一人としていず、火葬の時には鮮やかな紫色の訪問着と一緒に荼毘にふされた。形見分けの着物や毛皮は、年齢が近い人を中心に分けられ価値不明のまま分散してしまい、残りは衣装ケースに入れられたまま何十年もの歳月日の目を見ることはなかった。
一方、父親はモノに対して全く無頓着で、趣味といえば読書と株取引であった。それなりの収入があったので、「もう少しいい車に乗ったら。」と何度も勧めてみたが全く興味がなく、むしろ大学生の息子達の方がいい車に乗っていた(今思うと、本当に情けない、親不孝な息子だったと後悔している)。したがって、母親が亡くなった時と異なり、父親の形見でこれといった一品は残っていなかった。火葬時に一緒に入れた遺品も忘れもしない、香港で購入した10万円前後のタグホイヤーの時計であった。僕自身が譲り受けたのはマントであった。しかもそのマントは、父が医師になった時に義理の兄に譲ってもらったものだそうである(ちなみに、画家の古畑さんの札幌の初個展にはそのマントを着て行った)。
本人だけしか値段価値の分からないモノをたくさん残した母、お金はたくさん残してくれたが(自宅購入、クリニック設立のためにもはやなし)本人を偲ぶモノを残さなかった父。僕は両親を反面教師としてモノ選びをする時には、自分の思い入れが強いものもしくは意味のある記念日に、第三者からみて評価できるもの、子供達にも継承できるもの、であるかどうかを基準にして吟味選択している。いつか手渡す時には、思い出とともに父の匂い温もりも添えることが出来ればと夢見ている。
こうしてコラムを残すのも同じ理由からである。父は読書家でたくさんのノートを遺したが、分家である我が家にはもう何も遺っていない。父との何気ない会話は覚えているが、父の言説は今となっては知る由もない。普段直接話すことのない亡くなった祖父母のことや自身の両親との思い出を残しておきたい、そして何より、自分の父親が今何を思い考え生きているのかを子供達の心に伝えたい、残したいという気持ちが強いからである。
長男の中学合格を記念して購入。
長男が成人する時に手渡しできれば、と考えています。
この時計も今や販売中止で貴重です。