北村一輝が着たキモノ
生前遺言パート2
生きとし生けるものに命漲るこの4月、僕の亡き母が生まれた。母と過ごした18年余、自分の息子ともとうとう18年目の年月を迎えた。母と過ごした期間よりも、彼女以上に長い年月を過ごしてきた人達が多くなってきている昨今である。
僕の両親は着道楽だった。特に母は、病的と言えるくらいだった。ラメやスパンコールの入ったドレスはもちろんのこと、和装も一際華やいだものを着ていた。群青、紫、赤茶、果ては裾に眩しいくらいの鳳凰が彩られた黒留袖、中高生の僕でもその輝きは理解できた。日常着として着物を着ていた母なので、きっと結城紬・大島紬を普段着にしていたことだろう。
今から40年ほど前、開業医は恵まれていた。医者自体の数が少なければ、開業医の数はさらに少なかった。集票マシーン・献金マシーンである日本医師会の力は、現在の比ではない。何を言いたいかというと、羽振りのいい開業医に有象無象の輩が寄って来たことは容易に想像がつく。おそらく母は、値段だけが高い着物を言われるがまま購入していたのだろう。知り合いの呉服店店長に、形見の着物が詰まった衣装ケースを見てもらったところ、何でも鑑定団よろしく、お宝物は眠っていなかった。期待していた結城紬、大島紬さえも。
前置きが長くなった。以前コラムで書いたように、母の形見を活かすため半帯を角帯に仕立て直してもらうとともに、自分の着物を誂えることにした。今時の開業医は、羽振りは良くない。とりわけ僕のような新規開業は特に厳しい。しかし、母親を反面教師として思案に思案を重ね、次世代に継承出来る良い物をということで、清水の舞台から飛び下りるつもり、いや三段壁(当地の名所)から身を投げるくらいの気持ちで思い切って羽織と着物をこしらえた。
納品されてからしばらく経ったある日、呉服店店長から突然電話がかかってきた。「雑誌『美しいキモノ』で男物の特集をすることになりました。雑誌社から衣装協力を依頼されたので、つきましては先生の着物と羽織を貸していただけませんか。年配の俳優さんがモデルになると聞いています。何卒よろしくお願いします。」とのことだった。数回着用してそろそろクリーニングに出そうと思っていたところなので、「モデル直用前後に無料でクリーニングに出してくれるんでしょ。それならいいですよ。」と何も考えず二つ返事で答えた。
後日、店長が掲載された号の「美しいキモノ」とともに、貸していた着物と羽織を持ってきてくれた。見てびっくり、あの個性派俳優の北村一輝さんがモデルだった。僕と違って、着物姿が威風堂々としている。「今日のきものに袖を通してまず感じたのはいいきものだなということ。(中略)機会があればこういった個性のあるきものをもっと着てみたいですね。」とのコメントがついていた。
店長に思わず「クリーニングしていないよね!」と問うたところ、「えっ?しましたが・・・、」のつれない返事だった。
遺される人達へ。
父が誂えた着物と羽織は、呉服店イチオシのものだったようで、何と雑誌に掲載されました。しかも俳優の北村一輝さんがお召になられたものです。僕に万が一のことがあった場合、畳紙に入れてきちんと保存しておくので、いつか袖を通してみてください。僕が仕立て直した母の帯を締めた時に感じた親子の繋がりを、きっとあなたたちも感じることでしょう。