院長のコラム

医学生時代のアイドル、今井美樹。

還暦という言葉がある。十二支と十干(じっかん)の組み合わせが六十年で一巡して生まれた干支に戻ることから、赤ちゃんに戻るとか第二の人生に生まれ変わるという意味合いだそうだ。「12x10なら120じゃないか!」というツッコミが入りそうだが、十干にはオモテウラがあり、生まれ年で自動的にオモテウラが決定しているらしく半分に。還暦は長寿の祝いとされているが、昔と違って今の六十代はまだまだ若く、個人的には現年齢マイナス10が一昔前の年齢と考えている。初見の方によく年齢を尋ねられるが、驚かれることがほとんど。僕的には「19のままさ」(By浜田省吾)を自負している。それはさておき、僕自身は五十半ばを過ぎて早くも第二の人生を謳歌している。二十五歳で大学を卒業して社会人に、そして結婚に仕事、三人の子供を高等教育機関に送り、社会人として親としての責務が落ち着いた。障害ある三男も高校生になった頃から社会性が出てきた。コロナ禍があり行動する時期がやや遅れたけれど、現在ひたすら青春時代を取り戻している。その一つがコンサートへの積極的参加。

僕が医学部に入学したのは昭和60年。忘れもしない、学籍番号はS60−073。医学生時代、熱心に聴いていた音楽の一つが今井美樹。齢はやや上だけども、彼女のデビューは鮮烈に覚えている。雑誌モデルから「ハナマルキ」のCM、そして女優からミュージシャン。僕が言うのもおこがましいけれど、決して彼女は美人ではない(と思う)。背が高く長い髪、大きな口と厚い口唇から繰り出される笑顔はまさに喜色満面、見る側を明るく元気にそしてポジティブにしてくれる雰囲気美人。高校時代、陸上競技の選手だったらしく、テレビインタビューを受ける彼女は体育会系らしく竹を割ったようなサバサバした性格。80年代と言えば、ミニスカートを穿いて聖子ちゃんヘアを模したアイドル全盛時代だから、男らしさが逆説的に好感を持てた。とにかく、あの時代、彼女の存在は異色だったように憶えている。90年代前半は、雑誌のインタビューでよく「ヨウジヤマモト」を着ていた彼女の姿が僕をヨウジに導いたのかも。

どの曲から入ったのかよく覚えていない。ベストアルバム「IVORY」、「Ivory II」から、その周辺のオリジナルアルバム「MOCHA」、「retour」、「Lluvia」、「flow into space」をとにかく聴いた。80年代半ばと言えば、「スケバン刑事」や「毎度おさわがせします」に代表されるように、十代女性タレントが歌やドラマに活躍するには、先ずはアイドルからが一般的な時代。女優から入った人が歌うのはごく少数派。その場合、どうしても片手間感が否めなかった。今井さんは、言葉は悪いがモデル上がり。モデルから女優そしてミュージシャン、虚飾・虚構の芸能界において、飾らず等身大のまま自分のペースで階段を歩んで行く彼女の存在は僕にはとても眩しく映った。彼女が歌う曲も、彼女自身や今井美樹が演じる女性像を反映していて、同世代の悩みや葛藤、恋愛や生き方を素直にありのままだった。性別は異なれど、彼女が歌う世界観にユーミンに通じる視点と感性の普遍性を感じた(ここに書くことは勝手きまま、すべて私的見解)。

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