院長のコラム

医者冥利

忘れられない患者さん

妻が医師検索をしてくれたおかげで、僕が無資格医でないことは分かった。けれども、口ひげに顎ひげ、ましてや長い髪を束ねていれば、一般的には、組織に属していない商売人と見られるだろう。初対面の方と名刺交換をすると、皆が一様にきょとんとなる。
しかも、僕は診察時に白衣を着ない。白衣は、ある意味医師を象徴するものである。しかし、医療従事者なら分かっていることだが、毎日クリーニングに出す訳にいかないので、実は白衣といいながら不潔なのである。このように、見かけが胡散臭く白衣を着ていない僕のようなニセ医者のような医者でも、そこそこの内視鏡検査をさせていただいているのは、非常に有難いことである。医者として、逆張りの姿勢が評価されているのだろうか。

忘れられない患者さんが何人かいる。その一人が先日亡くなられた。出会いは以前勤めていた南和歌山医療センターである。初診で診た医師の対応が納得いかないとのことで、医長である僕が外来担当になった。3年間の在職期間中、何度かの入院の際も主治医をさせてもらった。地方の医師不足が叫ばれる中、3年目の年に、退職すること、開業することを決意した。
医療コンサルタントの開業マニュアルによると、通常開業する場合、ぎりぎりまで勤務医をして、根付いた患者さんを引き連れて行くのが鉄則だそうだ。僕の場合、県下各地の医療機関で非常勤医として働く道を選択したので、開業まで約1年間のブランクがあった。ひょっとしたら、前の病院から僕を頼ってくれる患者さんが居るかもしれないと、弟が継いだ長嶋医院の午後枠を一部割いてもらったが、患者さんはほとんどいなかった。

先日亡くなられた〇〇さんは、南和歌山医療センターから長嶋医院、長嶋雄一クリニックと、僕を追っかけてくれた数少ない患者さんの一人である。開業後も何度か入院することになったが、入院する前の診察時に、決まったように「先生、また帰ってくるわよ。」と右手を上げて退室する姿が印象的であった。今年になってから、病態の進行に年齢による変化も加わって衰えを隠せなかった。ある日、診察を終えて退室する際「先生、初めて会った時、十年は大丈夫と言ってくれたな。あれから十年になるけど、もうちょっと頑張ってみるわ。」「そうですね、まだまだ行けますよ。」と答えてみたものの、先が長くないことは理解していた。理解しているが故に、〇〇さんの言葉が遺言のように聞こえた。
それからほどなく、地方紙の訃報欄で〇〇さんが亡くなられたことを知った。僕には、霊感・第六感というものが全く備わっていない。なのに、訃報を知ってからの二日間、〇〇さんが夢枕に立つではないか。遠くで、右手をあげて笑顔で、なのに無言で立ち尽くす〇〇さんは僕に何を伝えたかったのだろう。「先生、ありがとうな。」「約束を守れなくてごめんな。」

勤務医時代、何人もの患者さんを見送って来た。その度に、ぼくのような医者がこの患者さんの臨終に立ち会っていいのか、立ち会うにふさわしいのか、自問自答していた。開業してからは、臨終に立ち会う機会が無くなったので、このような切実な自分への問いかけは無くなったが、患者さんの訃報を知る度に胸を痛めることに変わりはない。
なぜ、数多いる医師の中から僕を選んでくれたのかを考えることがある。理由はそれぞれ異なるが、選んでもらったことに対する感謝、ゆえに誠実な対応を心がけているつもりである。今回のように、夢枕まで出てきて挨拶をしてもらえたのは初めての経験である。
ふと、医者冥利という言葉が浮かんだ。

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