院長のコラム

原点回帰〜北海道旅行〜(3)「岩内」

2024.01.28

北海道と一口で言っても、面積は四国と九州を合わせたくらい大きい。その日の行程は、占冠村から岩内まで240キロ、順調に行って3時間半、岩内から登別温泉まで140キロ、約2時間とGoogle Mapsが示す。あまりピンと来なかったが、福岡から鹿児島まで縦断するのと遜色ない。距離的に変わらないけれど、一般道も走るから時間的拘束は1.5倍以上。長距離運転に慣れていない還暦前の眼力が衰えた僕にとっては苦痛以外の何ものでもなかった。かと言って、雪道ほぼ初心者の同乗者に運転を任せるわけにもいかず、何も考えず無心で運転することに。僕がいた頃と違うのは、高速道路が余市町まで延伸していて想像していたよりも案外時間はかからなかった。高速道路を降りてしばらく国道を走らせたが、辺り一面銀世界ということもありかつての記憶はしばらく蘇らなかった。二十数年も経ったのだ、当時と比べたら随分様変わりもしたのだろう。

岩内協会病院退職後も親交のあった看護師さんに前もって伺うことを伝えていて、岩内到着は午後1時。ちょうど昼食時ということもあり、待ち合わせ場所に寿司屋を取ってくれていた。僕がいた当時から、「小樽は観光客相手、寿司通は岩内」なんて言われていた。同じ素材ならコスパが圧倒的にいいのが岩内。you tubeでも岩内の寿司店が数多く紹介されている。ミョウバンを添加していないウニを食べたのは岩内をおいて他にない。驚いたことに、寿司屋で待ってくれていたのはSさんに当時の病棟師長。二人とも協会病院をとっくに退職しており、今は悠々自適に医療や介護の現場に従事しているとのこと。互いに齢はとったけれど、元気そうな二人の姿が嬉しかった。それとともに幾星霜経たことは否めなかった。当時、長男は生まれたばかりで三男や長女はこの世に存在さえしなかったのだ。師長さんの「お父さん(僕)が岩内にいた頃、一杯働いて病院を立て直してくれたのよ。本当、あの頃私達働いたよね。」の労いと感慨の言葉に、今と違ってがむしゃらに働いた血気盛んなかつての自分が思い出された。

当時、病院は赤字体質で職員にボーナスが満額支給されない状況が続いていた。就任二年目、三十そこそこで内科医長に大抜擢され取り組んだのは、「自病院で出来ることは極力自己完結する。」だった。救急要請はとにかく断らないことにした。緊急性を要する脳・心疾患患者は、救急車に同乗して小樽の基幹病院に何度も搬送した。同僚の支援もあったが、何より師長さんが率先して病棟の受け入れ態勢を整えてくれたのには勇気づけられた。信じる者は救われる、内科患者が増えると並行して外科患者も増えた。相乗効果で他科の患者・入院患者数も増え、ボーナスは系列病院と同程度に支給されるようになった。総力体制は実を結び、老朽化病院は移転することが決定し、北海道大学外科系医局から派遣されていた院長ポストは僕の所属医局から派遣することが決定した。

旧き友と積もる話は尽きない。この後登別までクルマを走らせなければならない。またの再会を約束して寿司店を後に、旧協会病院(現在はスーパー)跡地、かつての借家を見届け、岩内神社に参って南下した。岩内を離れる道中、内心「また来るから!」と自身に言い聞かせつつ、約束の地に再び足跡を残すことができ肩に背負った荷物を一つ下ろせた気がした。

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