反面教師として
エリートの意味
大王製紙の前会長である井川意高容疑者は、「裸の王様」ではなく「裸の大王」と呼ばれていたそうである。井川容疑者は、名門筑波大付属駒場高校から大学の頂点である東大の法学部へ進学。62年に大王製紙に入社し、4年で常務に昇格するなどまさにエリート街道を突き進んだ人であった。
彼の周囲は、超エリートの彼に教えることができなかったのだろうか、経営者にとって公私混同・過剰な贅沢は厳禁であること、ギャンブルに手をだしてはいけないことを。まさか、「金持ち金を使わず」「実るほど頭を垂れる稲穂かな」「おごる平家は久しからず」のような簡単な諺も知らなかったのだろうか。
元経済産業省の官僚である古賀茂明氏の著書「官僚の責任」を読むと暗澹たる気分になる。偏差値の高い学校に入学して、高いレベルの中高等教育を受け、難関と言われる国家試験第1種に合格した所謂エリート官僚と呼ばれる人達が、公僕という名のもと、最高の権威主義者、究極の派閥主義者、至高の個人主義者であることが良く分かった。
官僚と聞くと、自分が経験したある逸話を思い出す。
その日、僕は地域の基幹病院の休日当直をしていた。ちょうどその日、その地域ではマラソン大会が開催されていたようで、気分が悪くなった人が何人か搬送された。その中に、素人眼で見ても容態が尋常でない若者が搬送されて来た。血液検査の結果を見てびっくりした、筋肉が崩壊することによって上昇する酵素の値が数百倍の値を示していたのだ。異常な状態の若者に、その結果を説明し入院が必要であることを説明したところ、「田舎医者が何を言っているんだよ」と言わんばかりの反抗的な視線を向けてきた。結局、一緒に走りに来ていた上司に諭される形で渋々入院に応じた。何も知らない僕は、「一体、この若造何者何やねん!」と保険証を調べたら◯◯省の文字を見つけた。
その若い役人は、さすがに個室に入ることは出来ず、大部屋に入院することになった。仕事が一段落して回診に行ったところ、まだ夕方で明るいにも関わらずカーテンが閉め切られていた。「すいませーん」とカーテンを開けたところ、彼女と思しき人物と病床でイチャついているのである。ラブラブモード全開で、先ほど僕に向けてきた鋭い視線は何処へやら、身体はへろへろ、目線もへろへろ状態であった。さすがのエリートも、女性には形無しである。英雄色を好む、エリート色を好む、一流大学を出ても欲望は一般人と変わらないのだ、と当たり前のことだが妙に納得した。今、彼は何処で何をしているのだろう。
長い人生、肩書きや経歴は、今の自分を評価するにあたっての参考程度にしかすぎない。今何が出来るのか、今をどうして生きているのか、今何に立ち向かっているのか、今つくづくそれが大事だと思っている。