院長のコラム

器が小さいのか、器が限界なのか

慌ただしかった十月 

内容とは全く関係ありません。
こんなのも見てきました。

人の能力や人格の大きさを器で表現する。今年の十月は、自分の器が小さいのか、それとも自分の器が限界なのか、思い知らされる感慨深い月になった。

当院の繁忙期は、例年六月、七月であった。これには理由がある。医療費助成のある難病疾患、当院は消化器が専門なので潰瘍性大腸炎やクローン病がこれに当たる。その特定疾患の更新の締め切りが、一昨年まではお盆前だった。したがって、更新のための検査が六月、七月に集中した。けれども、昨年から更新時期が二ヶ月ほど遅れることになった。このため、例年忙しかった六月、七月が落ち着き、八月、九月が慌ただしかった。
それが、今年は三月以降、月別最高検査件数を毎月更新するようになった。原因はよく分からない。させてもらえていることに感謝するばかりである。忙しさに慣れつつあったが、九月まではまだまだ余裕があった。しかし、十月になって状況が一変した。平日は、胃と腸合わせて二十件以上の内視鏡検査が連日あるのだ。この検査数をこなすには、朝八時から夕方六時まで寸暇を惜しまず検査に没頭するだけである。すべての検査を終えたら心身ともに疲労はピークを迎え、申し訳ないとは思いつつ、連日スタッフよりも先に帰らせてもらった。

検査が増えるのに比例するかのように付き合いも多くなった。従来の付き合いに、新たに始めた介護事業関係の方との付き合いが加わった。適度な飲食はストレス発散に最高である。けれども、空腹と疲労を抱えたままの外食が週三回程度になると、さすがに弊害があるようだ。多少のストレスなら休日の余暇の利用で再充電できるのだが、九月・十月は休日も公私に渡り寛げなかった。
その証拠に、駄コラムを二回に渡って更新出来なかった。このコラムは、子供達に向けた生前日記であり自分の週間日記でもある。忙しいとはいえ、思い出深い出来事や出会いはたくさんあった。しかし、日が経つとその興奮や思いが段々と薄れていく。後から書こうと思っても気持ちが込められない。書きたいと思ったことはたくさんあったが書き残さなかったということは、即ち、その時に生きていなかったと同義語になる。今こうしてPCに向かっていると、このコラムが持つ意味が自身の胸に響いてくる。

先約がない限り誘われた食事会は断らないをモットーとしていたが、残念ながら今月は二度ほど断ってしまった。きれい好きと言う訳ではないが、汚れた車、特にホイールが真っ黒な車を運転するのは嫌だ。余暇には、気にならなくなる程度の洗車を常々心がけていた。けれども二ヶ月もご無沙汰してしまった。遅くとも十月上旬に終えていた衣替えもまだまだ出来ていない。
些細な事だが、公私にわたり自分の器というものを感じ始めた。そもそもが小さいのだろうか、小さいなら大きく出来るものだろうか。限界なら、この先どうやって乗り切って行こうか。慌ただしかった十月を振り返るとともに、自分自身を見つめ直している十一月一日の夕刻である。

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