夢の果てには
令和三年二月二十二日は始まりと終わりの日になった。
始まりは言わずもがな、デイサービスの開設日である。サービス付き高齢者向け住宅(以下サ高住)内に設けていたデイサービスが手狭になったこと、今後の施設基準等から外部にデイサービスを建てることになった。建築は、もちろん千葉学氏にお願いした。クリニックとサ高住の外観バランスを考慮して、一階が黒、二階がシルバーのガルバリウム鋼板を用いた直線基調の建築物になった。一階のデイサービスは全面窓ガラスで、対面のクリニックから内部の気配が感じられる。逆に、デイサービスからもクリニックの状況が把握できる。建物は別々ながら、不思議な距離感と一体感を生み出している。クールな外観に比して、内部は構造体がむき出しのスギの無垢材で覆われていて、何とも言えない木の香りが芳しい。一階は開放感ある吹き抜けのデイサービス、二階は事務所になっている。一階と二階には仕切りがなく空間として繋がっていて、時間帯によっては二階からも光が差し込んでくる。窓が開けられる季節になれば縦横無尽に風が流れる。窓辺のカウンターからは岩屋谷観音を仰ぎ見ることが出来る。隣にはクリニックが隣接しており、体調がすぐれない時には医療的対応が出来る。自分が介護サービスを受けるようになった時、利用したくなる建物が出来たと自負している。
終わりは、父から譲り受けた土地の開発がいよいよ完結する。相続のどさくさまぎれの中、公認会計士からほぼ騙されたに等しく購入させられた広大な土地。当時の購入坪単価は、周辺と比較して相当割高だった。しかも、主要道路とクリニックを結ぶ道路が、一部抵当権の設定された私道だったことがクリニック開業の際に判明した。私道なので、何らかの事情により封鎖されれば一巻の終わりである。関係各機関に働きかけて、どうにかこうにか市道にすることが出来た。もちろん無駄な出費がかさんだのは言うまでもない。使いみちのない、使いみちが閉ざされる可能性のあった資材置き場に僕はクリニックを建てた。あれから十四年、クリニックと薬局しかなかった殺風景な土地が、モダン建築物集合エリアに変貌した。
敷地の真ん中に立ってみると、「何でこうなったのだろう?」不思議な気分になる。自分が懸命に頑張ってきた結果なのは理解出来る。しかし、このような形で帰結するとは夢にも思わなかった。「法面も入れて約千坪の土地をどうにかしなければならない。」、「金持ちのボンボンと見下した会計士に一矢報いたい。」「二人三脚で両親が立ち上げ、母の死で中断せざるを得なかった事業の多角化を成し遂げたい。」という願望はずっと持っていた。開業してから十四年、願望がいつの間にか夢としてかなった。夢は叶えるものである。しかし、時にたどり着いた先にあるものなのかもしれない。夢は終わった。夢を叶えるための代償は大きかった。「よぅ、そんなに貸してくれたな。」知人から呆れられるくらいの莫大な借り入れが積み重なった。借金と考えると荷が重たいので、プロ野球選手のように、実力と期待を込めた銀行の僕への評価と考えるようにしている。「あんたなかなかのやり手やな。」と声をかけられた時は、「何と行っても、俺は○億の男やで。」と自虐気味に答えている。妻子に負債を残さないよう、這いつくばってでも行き続けなければならない。