夢幻の如くなり
和歌山県保険医協会事務局から和歌山県保険医新聞・新年号の随想執筆依頼が届いた。可・不可を選択して返信することになっていて、僕は真ん中の・を選んだ。誇れるものを持たない自分にはおこがましいと思う反面、事務局の運営苦労は想像に難くない。「絶対に無理!」と「少しでもお役に立てたら、」の狭間で依頼を差し戻し、受諾を事務局に委ねることにした。そうしたところ、執筆をお願いしたいとの正式の連絡がはいった。テーマは「私の夢」、与えられたお題について頭を捻らせたが、どう考えても自分の人生には「叶えたかった明確なもの」がない。それならと開き直って、「夢のなかった男」の半生を書くことにした。〜以下、原文〜
あれから30年。ミュージシャン佐野元春さんがアルバム「Sweet 16」を発表したのが1992年。これを記念して今秋、アーティスト本人が当時のアレンジで曲順通りアルバムを忠実に再現するライブが大阪難波で開催された。「30年前の自分は何をしていたのだろう?」ふと脳裏をよぎった。市立旭川病院の研修医2年目、医師としては半人前以下で単なる使い走りだった。父が開業医だったため、ぼんやりと「将来は家業を継ぐんだろうな。」程度で夢や希望もなく、まだまだ何者にもなっていない自分がそこにいた。
人生は波乱万丈だ。不惑の四十に、長男でありながら家業を継がず独立することになった。この時も願望など何もなかった。「自分が学んだ知識と取得した内視鏡技術で地域に貢献したい。」ただそれだけ。強いて言うなら、快適なクリニックづくりのため、設計を現東京大学大学院教授の千葉学氏に依頼したくらいである。開業から十五年、まさかサービス付き高齢者賃貸住宅とデイサービスまで手掛けるとは夢にも思わなかった。
欲望には際限がない。起業して待っていたのはバラ色の人生ではなく茨の道。「どうすれば患者さんが来るのだろう?」現実に打ちのめされる日々が続いた。けれど、いつの間にか、下衆で俗物的だが、レクサスがレンジローバーに、セイコーがフランク・ミュラーにステップアップしていった。開業から十五年、想像さえしなかったフェラーリ・ローマに乗り、パテック・フィリップを身に着けている。
ボーっと生きてんじゃねーよ。チコちゃんに言われそうな、これが開業医2世であるボンクラ長男の僕の話である。なぜ、僕は夢想すらしなかった世界にたどり着けたのだろう。夢なんて見るモンじゃない、語るモンじゃない。安室奈美恵が声高に叫ぶ。花より団子、名を捨てて実を取る。今を懸命に生きてきた先にパラダイスがあったようだ。最後に、絵空言を一つ。こんな僕でもNHKニュースをはじめとしたテレビ番組で全国放送された。「紀州のドンファン」の知人として。